第5章 心の障害_2(1)

●心の障害_2:現実の姿

自己嫌悪と他罰的な態度の共通点

自己嫌悪というものに、常に悩まされている人がいます。

この自己嫌悪というものの正体について少し考えてみましょう。

自己嫌悪というぐらいですから、自分が自分を嫌悪するわけです。

つまり、嫌悪を発射する自分と、嫌悪を受ける自分に分かれているわけです。

たとえば、飲酒して醜態を他人に見せてしまった、あるいは家族を傷つけるようなことをしてしまった、飲み過ぎて仕事に間に合わなかったということがあったとすると、そのことに対して自己嫌悪になり悩むわけです。

ところが、この悩みは次のような前提がなければなりません。

つまり、自分は決して人前で醜態を見せるような人間ではない、という前提がなければ人前で醜態を見せてしまったことに対して自己嫌悪は成立しないわけです。

同じように、自分は家族のことを大切に考えている、仕事に対しても責任を感じているし大切にしている、という前提がなければ、前記のような自己嫌悪は成り立たないわけです。

しかし、飲み過ぎて人前で醜態をさらした、飲酒の上で家族を傷つけるような行動をした、

深酒をして仕事の約束を守れなかった、などという自己嫌悪を受ける側のもう一人の自分の姿は、どう考えてみても実際に自分がしてしまった現実なのです。

自己嫌悪を受ける側の自分の行動は、まぎれもなく現実の姿なのです。

それに反して、嫌悪を発射する側の自分のイメージは、どこを探しても現実の基盤はありません。

つまり、悩みや自己嫌悪の背景には、現実と全く逆の自己のイメージが存在するわけです。

重要なお知らせ

第3日曜日(合同例会断酒表彰)変更について

●心の障害_2:現実の姿
自己嫌悪と他罰的な態度の共通点

自己嫌悪というものに、常に悩まされている人がいます。
この自己嫌悪というものの正体について少し考えてみましょう。
自己嫌悪というぐらいですから、自分が自分を嫌悪するわけです。
つまり、嫌悪を発射する自分と、嫌悪を受ける自分に分かれているわけです。

たとえば、飲酒して醜態を他人に見せてしまった、あるいは家族を傷つけるようなことをしてしまった、飲み過ぎて仕事に間に合わなかったということがあったとすると、そのことに対して自己嫌悪になり悩むわけです。
ところが、この悩みは次のような前提がなければなりません。
つまり、自分は決して人前で醜態を見せるような人間ではない、という前提がなければ人前で醜態を見せてしまったことに対して自己嫌悪は成立しないわけです。
同じように、自分は家族のことを大切に考えている、仕事に対しても責任を感じているし大切にしている、という前提がなければ、前記のような自己嫌悪は成り立たないわけです。

しかし、飲み過ぎて人前で醜態をさらした、飲酒の上で家族を傷つけるような行動をした、
深酒をして仕事の約束を守れなかった、などという自己嫌悪を受ける側のもう一人の自分の姿は、どう考えてみても実際に自分がしてしまった現実なのです。

自己嫌悪を受ける側の自分の行動は、まぎれもなく現実の姿なのです。

それに反して、嫌悪を発射する側の自分のイメージは、どこを探しても現実の基盤はありません。
つまり、悩みや自己嫌悪の背景には、現実と全く逆の自己のイメージが存在するわけです。