アルコール依存症の治療を阻害するもの「三つの誤解と偏見」(1)

アルコール依存症の治療導入を阻害したり、
せっかく専門的な治療に参加しても途中で脱落させたりする
最初の大きな要因として、
世間のアルコール症に対する
三つの大きな誤解と偏見があります。

第一の誤解と偏見は、
アルコール症者は
意志の弱いだめな人間として
とらえられているところにあります。

普通は
アルコール症の人々のように
身体をこわしてまでも酒を飲み続けませんし、
家庭や職場にさしつかえるような飲み方はしません。

「他の人々は普通に飲酒しているのに、なぜあなたにはそれができないのだ。」

これが、アルコール症者に対しての非難なのです。

節酒や禁酒の約束をするが結局は守れない。
このような繰り返しの中でも、
アルコール症者は周囲の信頼を失って行きます。

ある家族の方は、次のように言いました。
「うちの主人は身体を悪くして医者に酒を控えるようにと忠告を受けても、
 また飲んでしまいます。
 家族や職場に迷惑を掛け続けても、
 酒を止めることも節酒することもできなかったのです。
 結局主人は酒にだらしない、
 意志の弱いだめな人間なのです。
 つまり、人間性がだめなのですね。」

アルコール症者に対する世間一般の評価は、
この家族の言葉に代表されています。

ところが、
このような非難こそが
人間にとって最もつらいことなのです。

「世間の人々が簡単にできることが、あなただけにできない。」

これが、
アルコール症者が周囲の人々から長年にわたって、
散々され続けてきた非難なのです。

このような非難に反発しない人間など
どこにも存在しないでしょう。

たとえば、次のような非難に人間は
どのように反応するのでしょうか。

「あなたは、なぜオリンピックの選手のように速く走れないのだ。」

このような非難に対しては、
人間は何の反応もしません。

特別な人間にしかできないことを自分ができないからといって、
別に恥ずかしいことでもありませんし、
むきになって言い訳をする必要もなく、
心をさわがせる必要も全くないからです。

しかし、
アルコール症者が受けている周囲からの非難は、
全く種類が違います。

他の人々は普通に(節酒)できているのに、
あなただけができない。

つまり、世間並でないだめな人間だ。

このような非難に対しては、
人間は必ず反応します。

なぜなら、
誰も自分のことを
世間並でないだめな人間とは
決して認めたくないからです。

こうしてアルコール症者は、
このような非難に対してむきになって言い訳をしてみたり、
自分をだめな人間とみなそうとする周囲の人々に
敵意さえ抱いたりするようになってしまうのです。

繰り返しますが、
世間並みでない人間という評価ほど
人間の心を傷つけるものはありません。

アルコール症者が、
自分が世間並みの人間であることを証明しようとして、
節酒を試みたり専門治療を拒否して
自分の意思力で禁酒すると主張したりするのは、
ここにも大きな原因があったわけです。

彼らは、周囲のすべての人々から
意志の弱いだめな人間として非難され続け、
それに対して反発しています。

このような状態に置かれた人間にとって、
医師だけがその例外だとは
考えられないのは当然のことです。

彼らにとって、
アルコール専門の医師にかかるということ自体が、
自らをだめな人間として
決定づけられてしまうように感じるからです。

このようにして、アルコール症の大部分が
専門治療をうけることに尻込みをしてしまいます。

アルコール症者は、
けして世間で考えられているような
意志の弱いだめな人間ではありません。

アルコール症の正しい治療は、
本人と同時に家族を中心とした周囲の人々も含めて、
この病気の正しい知識を身につけることから始まります。

しかし現実には、アルコール症者に対する
このような誤解と偏見がまだまだ根強く残っており、
このために多くのアルコール症者が
正しい治療を受けることさえも拒否しているのが現状です。

さて、このような第一の誤解と偏見のため、
アルコール症者は何とか自分がアルコール症にまでなっていないことを、
いつも証明したがっているのです。

そのためには、
アルコール症に対する第二の誤解と偏見が
非常に役に立ちます。

重要なお知らせ

第3日曜日(合同例会断酒表彰)変更について

アルコール依存症の治療導入を阻害したり、
せっかく専門的な治療に参加しても途中で脱落させたりする
最初の大きな要因として、
世間のアルコール症に対する
三つの大きな誤解と偏見があります。
第一の誤解と偏見は、
アルコール症者は
意志の弱いだめな人間として
とらえられているところにあります。

普通は
アルコール症の人々のように
身体をこわしてまでも酒を飲み続けませんし、
家庭や職場にさしつかえるような飲み方はしません。
「他の人々は普通に飲酒しているのに、なぜあなたにはそれができないのだ。」
これが、アルコール症者に対しての非難なのです。
節酒や禁酒の約束をするが結局は守れない。
このような繰り返しの中でも、
アルコール症者は周囲の信頼を失って行きます。
ある家族の方は、次のように言いました。
「うちの主人は身体を悪くして医者に酒を控えるようにと忠告を受けても、
 また飲んでしまいます。
 家族や職場に迷惑を掛け続けても、
 酒を止めることも節酒することもできなかったのです。
 結局主人は酒にだらしない、
 意志の弱いだめな人間なのです。
 つまり、人間性がだめなのですね。」
アルコール症者に対する世間一般の評価は、
この家族の言葉に代表されています。
ところが、
このような非難こそが
人間にとって最もつらいことなのです。
「世間の人々が簡単にできることが、あなただけにできない。」
これが、
アルコール症者が周囲の人々から長年にわたって、
散々され続けてきた非難なのです。
このような非難に反発しない人間など
どこにも存在しないでしょう。
たとえば、次のような非難に人間は
どのように反応するのでしょうか。
「あなたは、なぜオリンピックの選手のように速く走れないのだ。」
このような非難に対しては、
人間は何の反応もしません。
特別な人間にしかできないことを自分ができないからといって、
別に恥ずかしいことでもありませんし、
むきになって言い訳をする必要もなく、
心をさわがせる必要も全くないからです。
しかし、
アルコール症者が受けている周囲からの非難は、
全く種類が違います。
他の人々は普通に(節酒)できているのに、
あなただけができない。
つまり、世間並でないだめな人間だ。
このような非難に対しては、
人間は必ず反応します。
なぜなら、
誰も自分のことを
世間並でないだめな人間とは
決して認めたくないからです。
こうしてアルコール症者は、
このような非難に対してむきになって言い訳をしてみたり、
自分をだめな人間とみなそうとする周囲の人々に
敵意さえ抱いたりするようになってしまうのです。
繰り返しますが、
世間並みでない人間という評価ほど
人間の心を傷つけるものはありません。
アルコール症者が、
自分が世間並みの人間であることを証明しようとして、
節酒を試みたり専門治療を拒否して
自分の意思力で禁酒すると主張したりするのは、
ここにも大きな原因があったわけです。
彼らは、周囲のすべての人々から
意志の弱いだめな人間として非難され続け、
それに対して反発しています。
このような状態に置かれた人間にとって、
医師だけがその例外だとは
考えられないのは当然のことです。
彼らにとって、
アルコール専門の医師にかかるということ自体が、
自らをだめな人間として
決定づけられてしまうように感じるからです。
このようにして、アルコール症の大部分が
専門治療をうけることに尻込みをしてしまいます。
アルコール症者は、
けして世間で考えられているような
意志の弱いだめな人間ではありません。
アルコール症の正しい治療は、
本人と同時に家族を中心とした周囲の人々も含めて、
この病気の正しい知識を身につけることから始まります。
しかし現実には、アルコール症者に対する
このような誤解と偏見がまだまだ根強く残っており、
このために多くのアルコール症者が
正しい治療を受けることさえも拒否しているのが現状です。
さて、このような第一の誤解と偏見のため、
アルコール症者は何とか自分がアルコール症にまでなっていないことを、
いつも証明したがっているのです。
そのためには、
アルコール症に対する第二の誤解と偏見が
非常に役に立ちます。