魂の家族を求めて第1章

この文章は以下の書籍から許可を得て転載しています。

魂の家族を求めて―私のセルフヘルプ・グループ論
斎藤 学
小学館
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第1章ボブが自由になった日

あるセルフヘルプ・グループの誕生

* 援助と共感

1990年の3月9日、私は大阪で開かれた日本のAA(アルコホリックス・アノニマス)の15周年の集会に出席していた。500人ほどのアルコホリック(アル中)が集まっていて、韓国、アメリカといった外国からの人も30名ほど参加していた。AAのメンバーは飲むことについての行動が変わった(つまり断酒を開始した)日のことを「バースディ(誕生日)」と呼んでいるが、バースディ1ヶ月の人、2ヶ月の人から、10年目、15年目、それ以上の人たちまで、それぞれの参加者にバースディの記念メダルが贈られていた。韓国語、英語、日本語といろいろな国の言葉で、同じ体験が語られ、飲まないですむようになったという同じ喜びが語られていた。

 こうした場面に同席すると、本当に感動させられる。私自身にも自分の「依存(日本では「中毒」と混同されている)」、「悪しき習慣」というものはある。それを変えていくことの困難も知っている。生き方を変えなければ身についた習慣も変わらないが、人間、生き方を変えるというのはたいへんなことである。それを知っているから、私は堂々とその努力を続けているAAのメンバーたちにも共感ももてるし、敬意も抱けるのである。

* AAの誕生

1990年は日本のAAが発足して15年目だったが、AAそのものはこの年に55年目の誕生日を迎えており、数万人の人びとが、これを祝ってシアトル市に集まったという。1935年6月10日というのがAAの誕生日である。セルフヘルプ・グループのことに関心のある人なら、本書の冒頭にAAの誕生を記すことには賛意を表してくれるだろう。AAこそ、この種のグループの元祖であるからだ。AAの誕生とは、一人の人間がどのようにして酒から離れることができるのかという物語である。

 1935年6月10日は、ある男がアルコールから自由になった日である。この男とはアメリカ東部のアクロンという町で開業していたロバート・スミスという外科医で、当時55歳だった、AAの仲間は彼のことをボブという。ボブはロバートのニックネームである。ボブはこの年の4月、ニューヨークからやってきたビルという39歳になる男と出会った。ボブの妻、アンが友人の家でいやがるボブをビルに引き合わせたのである。「5分だけだよ。5分たったら私は帰るからね」とその時、ボブは言ったという。

 ビルはウォール街活躍した証券ブローカーで、1929年の大恐慌で無一文になり、アル中がひどくなって数回入院した後、数ヶ月前から断酒しているという人物だった。この男は初対面の年上の医師にこう言ったそうだ。「あなたはアル中であると聞きました。私もアル中です。断酒して5ヶ月ほど経ったところですが、今は飲みたくてたまりません。あなたと話すことによって、断酒を続けられると思ったので訪問したのです。あなたも私と同じだと思いますので、二人でこの町のアル中のところへ行って、断酒するように説得してみませんか?」

 この話はボブを動揺させた。なぜならボブは自分がアル中であることを町の人びとに隠しおおせていると信じていたからである。しかしビルがどのように断酒したかという話には魅かれたし、ビルの体験と自分のそれとの間に一致することが多いことにも感銘を受け、二人は長時間話しあった。しかしボブは結局ビルの申し出を次のように言って断った。「私はこの町で30年開業してきて、かつては町のすべてから尊敬されていたものです。今では私の酒のせいで妻にも子どもにも悲しい思いをさせ、患者もだいぶ減ってしまったが、それでも何とか医者をやっている。私はアル中だなどと言い出せば残った患者もいなくなってしまうでしょう。自分と家族が生活できなくなるようなことをするわけにはいきません」

 その年の6月のはじめ、外科医はアトランティック・シティで開かれた学会の帰り、汽車の中で泥酔し、途中の駅で乗務員に引きずり降ろされた。連絡を受けた妻のアンとビルが迎えにゆき、ボブにはっきり言いわたした。「あなたはアル中だ。今のままではあなたに将来はない」

 こうした直言をコンフロンテーションという。アル中などの嗜壁(心身に害のある習慣)をもった人の治療には、このコンフロンテーションを必要な時期にきちんと行うことがたいへん重要である。ただし、これを言う時には工夫がいる。「お前はアル中だ。直せ」と言うだけでは相手を反発させるばかりなので、その前に、「私はあなたが好きだ。そのあなたが心配なので言わせてほしい」ということをしっかり伝えておく必要がある。配偶者の場合であれば「私はかつて素面のあなたが好きでした。愛していました。そういうあなたに戻ってほしい」しかし、「飲んでいるあなたとは、これ以上いっしょにいられない」と伝えるのである。

 アンとビルがボブを迎えに行った翌日が1935年6月10日であった。その日の朝、外科医は病院に行った。アンとビルは家でボブの帰りを待っていたが、なかなかボブは戻らない。ボブは病院を出てから、それまで自分が迷惑をかけたと思う人びとのところをまわっていたのだった。「実は私はアル中でした。みなさんに迷惑をかけて申しわけなかった」とボブが言うと、ほとんどの人は「それは知ってました」と言ったそうである。

 こうしてボブは遅くなって家に戻り、アンたちをホッとさせた。「ボブはとても疲れていたが、そのこころはさわやかだった」とビッグブックの中に書かれている。ビッグブックというのは、アル中たちの聖書である『アルコホリックス・アノニマス』という本のことである。日本のAAサービス・オフィスから『アルコール中毒からの回復』という題で翻訳が出ている。この日、つまりドクター・ロバート・スミスが「自由になった日」をAAでは創立記念日にしている。

 もちろん、当時のビルとボブがこんなことを勝手に決めたわけではない。AAが発展していく過程で、この集まりはどこから始まったんだろうと考えて、「ああ、あの日、ドクター・ボブが酒をやめた日だ」ということになったわけである。具体的に言うと、1939年に『アルコホリックス・アノニマス』という本を出版した頃になって、この日を創立日とするようになったのである。「アルコホリックス」というのは「アル中たち」のこと、「アノニマス」というのは「無名の」という意味である。作者不明、読み人知らずの詩などという時に、アノニマスという。名詞の「アノニミティ」は無名性、匿名性を重視するAAの精神を語る時によく用いられる。

 AAではファースト・ネームの省略形(たとえばロバートはボブになる)でお互いを呼びあい、ファミリー・ネームやフル・ネームを使わない。フル・ネームを使わない理由は、一つにはAAは、初め「アル中」という恥ずかしい病気(1930年代のアメリカでは、アル中であることを告白することは、現在のエイズ羅患者が“カム・アウト”するのと同じくらい困難で勇気の要ることだった)を持った者どうしの秘密結社という側面を持っていたからである。しかし、それだけではない。AAの事業はAA全体のものであって誰々ということを強調すると、グループ・メンバーの中で、治療者や保護者や先輩やボスの役割をとる人が出てきて、AAがその人の会になってしまうということがおきる。無名性の維持ということは、こうしたことを避けるうえでだいじなのである。

 ビルとボブはアクロンの町のボブの家でミーティングを開き、やがてニューヨークに帰ったビルは妻のロイスの父親(この人は内科の開業医)の医院でミーティングを開いた。このニューヨークでの集まりを呼びかけるビラをつくった時、そのビラの書き手として、この「アルコホリックス・アノニマス」、つまり「無名のアル中たち」という言葉が使われたのである。ビルたちは初めオックスフォード・グループ(現在のモラル・リアーマメント)という宗教団体の集会の中でアル中たちの会を開いていたが、やがてアル中だけのミーティングを開くようになった。この名前で人を集めるようになり、自分たちの体験を本として出版する時にも、これをタイトルとしたのである。

* 自助グループと医療

AAの初期のメンバーを、オールドタイマーズと呼んだりするが、この人びとはみな、白人の中流階級の人びとである。かつては、ある程度の資産も名誉もあった人たちである。ビルにしても、ウォール街で若い頃から名を成した株屋だった。1929年の大恐慌で破産してアル中になってからも、妻のロイスの実家もよかったし、妹夫婦もしっかりしていたから、タウンズ病院という私立の質のいい内科病院に入って高価な医療を何度も受けていた。しかし何度退院しても断酒できないで、いよいよ文無しになった。

妻のロイスがデパートの売り子として働きに出てようやく家計を助けるという状態になるのだが、公立の病院には入らない。なぜかといえば、当時の公立の、とくに精神病院というのは、人間の墓場であったからである。数千、時には万を越える患者が、ほんの少数の医師の管理に委ねられていて、めったに診察もされない。看護婦や看護士の監視のもとで生かされているだけというわけで、かつては地位も名誉もあった人が再起をはかれるようなところではなかったのである。たとえ退院できたとしても、アル中とうレッテルをしっかりと貼られた、生きる屍としての人生しか残されていなかった。

しかし、精神病院に入るのがいやだとすると、残された道は刑務所しかなかった。本とちがって当時のアメリカはアル中を犯罪者として扱っていた。公衆酩酊罪というのがあって、酔ってフラフラしていると捕まるし、何度か捕まると刑務所ゆきになったのである。この制度は1970年まで続いてから、金がかかりすぎるわりには効果がないということで廃止され、代わりにNIAAA(国立アルコール乱用アルコール症研究所)ができて、かつての酩酊犯罪者はいまでは病人ということになっている。

 そういうわけでビルがアル中であった当事は、一部の金持ちを除けば、劣悪な環境の精神病院か刑務所だけが、アル中の面倒をみていたわけである。こういう状況の中で、精神病院にも刑務所にもやっかいにならずに何とか生き残りをはかろうとする中流階級のアル中たちが集まったのがAAであった。つまり、AAは「医療では救われない」というところから始まっているのであって、ここのところはきちんと押さえておく必要がある。医療ではカバーできないところから始まる「健康問題」というのが、実はたくさんあるのであって、こうしたところで医療が役割をとりすぎるとロクなことがないのである。アル中の回復というのもそうした問題の一つである。

 AAが順調に発展しはじめた1950年になって、ビルの妻ロイスはアラノン(Al-Anon) 家族グループというセルフ・ヘルプグループをつくった。アラノンに集まったのは主としてアル中の妻たちだったのだが、彼女たちは医療に対して、AAのメンバーたちよりさらに批判的であった。あんな施設に自分の愛する夫や子どもたちを預けられないと思っていた。

* 回復と12ステップ

AAには12ステップ(表1)という回復のプログラムがあり、これをつくったのもビルであった。そのビルは酒をやめてからも心身健康というわけにはいかなかったのである。彼は20歳から39歳までの15年間、ひどい抑うつに悩むうつ病患者としてすごしたのだった。この間、何度も自殺の危機があり、精神分析を受けたり、薬を服用したりしたがよくならなかった。

しかしやがて、「この抑うつそのものが自分の一部なのだ」と考えられるようになった。ビル流の言いまわしだと、「喜びが神の摂理であるのなら、抑うつもまた神の恵みの一つ」ということである。こういう考えに達した後でようやくいくらか楽になった。こうした状態のまま気力をふり絞ってAAの20周年行事をこなし、これが終わってみると、長年続いた抑うつはきれいに拭い去られていたのだった。

ビルがたどり着いた境地は人間の成長という観点からみて、かなり高いものだと思うが、断酒だけでこれができたわけではない。成長には限りがない。しかし断酒なしでは成長の途につくこともできない。

12ステップは、こうした抑うつに苦しむビルの頭から絞り出されたものである。12ステップの第1は「われわれはアルコールに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた」ということである。第2ステップは「自分自身よりも偉大な力が、われわれを正気に戻してくれると信じられるようになった」。第3ステップは「われわれの意志と生命を、自分で理解している神、ハイヤーパワーの配慮にゆだねる決心をした」となっている。

表1 AAの12ステップ

1. われわれはアルコールに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。
2. 自分自身よりも偉大な力が、われわれを正気に戻してくれると信じられるようになった。
3. われわれの意志と生命を、自分で理解している神、ハイヤー・パワーの配慮にゆだねる決心をした。
4. 探し求め、恐れることなく、生きて来たことの棚卸表を作った。
5. 神に対し、自分自身に対し、もうひとりの人間に対し、自分の誤りの正確な本質を認めた。
6. これらの性格上の欠点をすべて取り除くことを、神にゆだねる心の準備が完全にできた。
7. 自分の短所を変えて下さい、と謙虚に神に求めた。
8. われわれが傷つけたすべての人の表を作り、そのすべての人たちに埋め合わせをする気持ちになった。
9. その人たち、また他の人びとを傷つけない限り、できるだけ直接埋め合わせをした。

10. 自分の生き方の棚卸しを実行し続け、誤った時は直ちに認めた。

11. 自分で理解している神との意識的触れ合いを深めるために、神の意志を知り、それだけを行っていく力を、祈りと黙想によって求めた。

12. これらのステップを経た結果、霊的に目覚め、この話をアルコール中毒者に伝え、また自分のあらゆることに、この原理を実践するように努力した。

〔AA文章委員会訳、AA二本ゼネラルサービス・オフィス〕

この「無力(パワーレス)を認めて、ハイヤーパワーを信じて、これに身を任せる」とい

3つのステップが回復の入り口になる。これに続くステップでは、いままでの恨みに満ちた無残な生活を自分なりにまとめてみることと、その告白がテーマになる。キリスト教でいうコンフェッション(告解)にあたるものだが、これを神父や牧師に対してするのではなくて仲間に対してするのである。その後にいままで迷惑をかけてきた人びとにたいする償いやまだ苦しんでいる仲間への援助に関するステップが続く。

 ロイスたちの始めたアラノンでもAAと同じ12ステップを使うが、そこで問われているのはアルコールという物質をコントロールすることの無力なのではない。自分の愛する者が酒に溺れているという状態をみて助けてあげようとする、その「愛の力」の無力なのである。このことは12ステップの深化、純化という点でたいへん重要な意味をもっていたと思われる。

* 無力とハイヤーパワー

AAは1930年代のアメリカで白人の中流階級のキリスト教徒たちが始めたものである。彼らの考えたことは当然、彼らの時代と社会と文化の制約を受けている。だからビルの考え神がキリスト教の神であっても仕方のないことであったろう。しかし12ステップは宗教のドグマではなく、あくまでも断酒のための方法なのである。

初期のAAメンバーたちの間でも、この神という言葉にはこだわりがあって、いろいろな議論が交わされたそうである。第3ステップに「われわれが理解する限りでの神」という言葉が挿入されているのは、そのためである。たしかに、12ステップにはキリスト教的な臭みがある。初期にはそれがもっと強かったと思う。しかしAAがメキシコ人、アフリカ系アメリカ人、日本人たちを受け入れ。いろいろな文化背景をもった人びとを包み込む過程で、こうした社会文化的な制約は解かれ、洗練されていくものだと思う。

冒頭に述べたAA15周年にきていた日本のアルコホリックたちの多くは神ということに関心のない人たちだったであろう。それでも12ステップが意味をもつのは、ここで問題にされているのが信仰ではなく、霊的成長(スピリチュアル・グロウス)というものだからである。ハイヤーパワーというのは、言葉どおり自分の筋肉のパワー、知のパワーを越えた存在のことである。それは自己というものの「パワーレス」に直面して初めて気づくものである。

AAのメンバーとは飲酒をやめるという、きわめてわかりやすい問題について自分の限界を知った人たちのことである。それだけでなく、グループの中にいれば自分は飲まないですむということにも気づいた人たちのことである。その人たちは他人(AAグループの仲間)と自分との関係が変われば、つまり、他人を必要としている自分に気づけば自分の行動が変化することに気づいたのだ。そうした人にとってはグループの仲間がハイヤーパワーである。こうして他人と自分との関係が変わることが霊的成長なのである。

私たちはある区切られた時間と空間の中で、生きて死ぬ。たとえば私が、1941年生まれの日本人であることは、私の限界である。しかし私は祖先から子孫へ連綿と続く人間という生命体の一部だし、地球を埋めつくす人類という種の中の一人でもある。人間という自然の一部に自分を組み入れて考えると自己のパワーを越えた、人間性というものがみえてくる。つまり12ステップの最初の3つは、自己のパワーの限界に気づいて、自然な人のあり方というものが存在することを信じ、これに身を任せなさいという意味になる。

このことは実はアル中だけの問題ではなく、われわれに普遍的な重要性をもつことなのではなかろうか。AAのミーティングでは、会の始めに一種のセレモニーがある。宗教団体なら聖書を読むのだろうが、代わりにビッグ・ブックの3章と5章から抜き出した文章を読むことが多い。そこには、こんなことが書いてある。「自分たちはアルコールをやめるためにいろいろなことをしてきた。旅行の時は飲まないようにしてみたり、旅行の時だけ飲むようにしたり、ウィスキーを飲まないで、ワインだけ飲むようにしたり……いろいろ工夫してみたが結局アルコールから離れられなかった」。というわけで「私たちはアルコールに対して無力であり…」という認識に達するわけなのだが、このことはアルコールをやめること以外の努力についても言えることである。

われわれが、われわれの力でやれると思って重ねている努力、勤勉、少しでも上に行こうと一生懸命になること、それ自体の中にすでにインセイン(狂気)が潜んでいることを、この文章は指摘している。酒を飲んで頭が狂うから狂気になるのではない。自分の力でなんとか酒がやめられるはずと努力して、自分のパワーレス(無力)に気づけない、そこのところを狂気と言っているのである。

* AAという遺産

私はこの気づきを、20世紀のアメリカ人たちがパワーゲームのあげくにつかんだ、一つの真理であると思っている。20世紀のアメリカ人ほどパワー(力)の論理を信じた人びとはいなかったのではなかろうか。彼らは200年前から土着民族を追い払い、居留地に囲い込み、その囲いの中にウィスキーを流しこんでインディアンたちにジェノサイド(人種殲滅)を強いた。いま、エスキモーに対しても同じことをしている。国内を平定するとイギリス、スペイン、メキシコと戦い、二つの世界大戦ではいずれも主役を演じ、その後もソ連との冷戦を続けてきたわけである。

この間、一貫してアメリカの男たち(女たちには別の論理があったのかもしれないが)を導いたのはパワーの論理であった。男は強くなければならない。筋肉も、頭も、風貌も衆にすぐれているべきだ。強い力で自然を切り開き、他者を屈服させ、女を従属させるものこそ、アメリカの大人の男であるというわけである。こうした中で、強くない多くのものが切り捨てられてきた。黒人、メキシコ人、東洋人などの少数民族、身体障害者、精神障害者、そして女性と子どもである。ビル、ボブなどのアル中は、アメリカのもっとも強い部分(白人、中流階級、キリスト教)から出て、ここから脱落していった人びとであった。そうした人びとの中から、パワー信仰を狂気とみなす考え方が生じてきたわけである。

20世紀のアメリカというと読者諸氏は何を考えるであろうか?フランクリン・D・ルーズベルトであろうか、ジョン・F・ケネディであろうか、フォード自動車会社の流れ作業であろうか、エンパイア・ステイト・ビルであろうか。しかしこれらはみな、いまではもう色あせているのではあるまいか。あんがい、20世紀のアメリカが後世に、世界にのこした最大の遺産はAAなのではないかと私はひそかに考えているのである。

日本人はどうだろう?だいぶ前になるが、ヨーロッパ人は私たちを「うさぎ小屋に住んでいるワーカホリック(働き中毒)」と言った。空腹の恐怖にせきたてられ、生きのびることだけを目的に何とかやってきたら、日本人は自分たちのことしか考えない利己主義者集団だと言われるようになった。他の国の人の就労を認めない、難民も受け入れない、輸出はするのに、輸入しようとしない、と非難されるようになった。こうした圧力が何年も続けば日本の社会も変わらざるをえなくなるであろう。その頃には、AAのいう「パワーレスを知らないことの狂気」ということの意味がもう少し日本の社会の中で理解されるようになっているであろう。そしていまの日本を振り返って、「あの頃は酔っていた。勤勉さに依存していた」と言うであろう。

重要なお知らせ

第3日曜日(合同例会断酒表彰)変更について

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魂の家族を求めて―私のセルフヘルプ・グループ論
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第1章ボブが自由になった日
あるセルフヘルプ・グループの誕生
* 援助と共感
1990年の3月9日、私は大阪で開かれた日本のAA(アルコホリックス・アノニマス)の15周年の集会に出席していた。500人ほどのアルコホリック(アル中)が集まっていて、韓国、アメリカといった外国からの人も30名ほど参加していた。AAのメンバーは飲むことについての行動が変わった(つまり断酒を開始した)日のことを「バースディ(誕生日)」と呼んでいるが、バースディ1ヶ月の人、2ヶ月の人から、10年目、15年目、それ以上の人たちまで、それぞれの参加者にバースディの記念メダルが贈られていた。韓国語、英語、日本語といろいろな国の言葉で、同じ体験が語られ、飲まないですむようになったという同じ喜びが語られていた。
 こうした場面に同席すると、本当に感動させられる。私自身にも自分の「依存(日本では「中毒」と混同されている)」、「悪しき習慣」というものはある。それを変えていくことの困難も知っている。生き方を変えなければ身についた習慣も変わらないが、人間、生き方を変えるというのはたいへんなことである。それを知っているから、私は堂々とその努力を続けているAAのメンバーたちにも共感ももてるし、敬意も抱けるのである。
* AAの誕生
1990年は日本のAAが発足して15年目だったが、AAそのものはこの年に55年目の誕生日を迎えており、数万人の人びとが、これを祝ってシアトル市に集まったという。1935年6月10日というのがAAの誕生日である。セルフヘルプ・グループのことに関心のある人なら、本書の冒頭にAAの誕生を記すことには賛意を表してくれるだろう。AAこそ、この種のグループの元祖であるからだ。AAの誕生とは、一人の人間がどのようにして酒から離れることができるのかという物語である。
 1935年6月10日は、ある男がアルコールから自由になった日である。この男とはアメリカ東部のアクロンという町で開業していたロバート・スミスという外科医で、当時55歳だった、AAの仲間は彼のことをボブという。ボブはロバートのニックネームである。ボブはこの年の4月、ニューヨークからやってきたビルという39歳になる男と出会った。ボブの妻、アンが友人の家でいやがるボブをビルに引き合わせたのである。「5分だけだよ。5分たったら私は帰るからね」とその時、ボブは言ったという。
 ビルはウォール街活躍した証券ブローカーで、1929年の大恐慌で無一文になり、アル中がひどくなって数回入院した後、数ヶ月前から断酒しているという人物だった。この男は初対面の年上の医師にこう言ったそうだ。「あなたはアル中であると聞きました。私もアル中です。断酒して5ヶ月ほど経ったところですが、今は飲みたくてたまりません。あなたと話すことによって、断酒を続けられると思ったので訪問したのです。あなたも私と同じだと思いますので、二人でこの町のアル中のところへ行って、断酒するように説得してみませんか?」
 この話はボブを動揺させた。なぜならボブは自分がアル中であることを町の人びとに隠しおおせていると信じていたからである。しかしビルがどのように断酒したかという話には魅かれたし、ビルの体験と自分のそれとの間に一致することが多いことにも感銘を受け、二人は長時間話しあった。しかしボブは結局ビルの申し出を次のように言って断った。「私はこの町で30年開業してきて、かつては町のすべてから尊敬されていたものです。今では私の酒のせいで妻にも子どもにも悲しい思いをさせ、患者もだいぶ減ってしまったが、それでも何とか医者をやっている。私はアル中だなどと言い出せば残った患者もいなくなってしまうでしょう。自分と家族が生活できなくなるようなことをするわけにはいきません」
 その年の6月のはじめ、外科医はアトランティック・シティで開かれた学会の帰り、汽車の中で泥酔し、途中の駅で乗務員に引きずり降ろされた。連絡を受けた妻のアンとビルが迎えにゆき、ボブにはっきり言いわたした。「あなたはアル中だ。今のままではあなたに将来はない」
 こうした直言をコンフロンテーションという。アル中などの嗜壁(心身に害のある習慣)をもった人の治療には、このコンフロンテーションを必要な時期にきちんと行うことがたいへん重要である。ただし、これを言う時には工夫がいる。「お前はアル中だ。直せ」と言うだけでは相手を反発させるばかりなので、その前に、「私はあなたが好きだ。そのあなたが心配なので言わせてほしい」ということをしっかり伝えておく必要がある。配偶者の場合であれば「私はかつて素面のあなたが好きでした。愛していました。そういうあなたに戻ってほしい」しかし、「飲んでいるあなたとは、これ以上いっしょにいられない」と伝えるのである。
 アンとビルがボブを迎えに行った翌日が1935年6月10日であった。その日の朝、外科医は病院に行った。アンとビルは家でボブの帰りを待っていたが、なかなかボブは戻らない。ボブは病院を出てから、それまで自分が迷惑をかけたと思う人びとのところをまわっていたのだった。「実は私はアル中でした。みなさんに迷惑をかけて申しわけなかった」とボブが言うと、ほとんどの人は「それは知ってました」と言ったそうである。
 こうしてボブは遅くなって家に戻り、アンたちをホッとさせた。「ボブはとても疲れていたが、そのこころはさわやかだった」とビッグブックの中に書かれている。ビッグブックというのは、アル中たちの聖書である『アルコホリックス・アノニマス』という本のことである。日本のAAサービス・オフィスから『アルコール中毒からの回復』という題で翻訳が出ている。この日、つまりドクター・ロバート・スミスが「自由になった日」をAAでは創立記念日にしている。
 もちろん、当時のビルとボブがこんなことを勝手に決めたわけではない。AAが発展していく過程で、この集まりはどこから始まったんだろうと考えて、「ああ、あの日、ドクター・ボブが酒をやめた日だ」ということになったわけである。具体的に言うと、1939年に『アルコホリックス・アノニマス』という本を出版した頃になって、この日を創立日とするようになったのである。「アルコホリックス」というのは「アル中たち」のこと、「アノニマス」というのは「無名の」という意味である。作者不明、読み人知らずの詩などという時に、アノニマスという。名詞の「アノニミティ」は無名性、匿名性を重視するAAの精神を語る時によく用いられる。
 AAではファースト・ネームの省略形(たとえばロバートはボブになる)でお互いを呼びあい、ファミリー・ネームやフル・ネームを使わない。フル・ネームを使わない理由は、一つにはAAは、初め「アル中」という恥ずかしい病気(1930年代のアメリカでは、アル中であることを告白することは、現在のエイズ羅患者が“カム・アウト”するのと同じくらい困難で勇気の要ることだった)を持った者どうしの秘密結社という側面を持っていたからである。しかし、それだけではない。AAの事業はAA全体のものであって誰々ということを強調すると、グループ・メンバーの中で、治療者や保護者や先輩やボスの役割をとる人が出てきて、AAがその人の会になってしまうということがおきる。無名性の維持ということは、こうしたことを避けるうえでだいじなのである。
 ビルとボブはアクロンの町のボブの家でミーティングを開き、やがてニューヨークに帰ったビルは妻のロイスの父親(この人は内科の開業医)の医院でミーティングを開いた。このニューヨークでの集まりを呼びかけるビラをつくった時、そのビラの書き手として、この「アルコホリックス・アノニマス」、つまり「無名のアル中たち」という言葉が使われたのである。ビルたちは初めオックスフォード・グループ(現在のモラル・リアーマメント)という宗教団体の集会の中でアル中たちの会を開いていたが、やがてアル中だけのミーティングを開くようになった。この名前で人を集めるようになり、自分たちの体験を本として出版する時にも、これをタイトルとしたのである。
* 自助グループと医療
AAの初期のメンバーを、オールドタイマーズと呼んだりするが、この人びとはみな、白人の中流階級の人びとである。かつては、ある程度の資産も名誉もあった人たちである。ビルにしても、ウォール街で若い頃から名を成した株屋だった。1929年の大恐慌で破産してアル中になってからも、妻のロイスの実家もよかったし、妹夫婦もしっかりしていたから、タウンズ病院という私立の質のいい内科病院に入って高価な医療を何度も受けていた。しかし何度退院しても断酒できないで、いよいよ文無しになった。
妻のロイスがデパートの売り子として働きに出てようやく家計を助けるという状態になるのだが、公立の病院には入らない。なぜかといえば、当時の公立の、とくに精神病院というのは、人間の墓場であったからである。数千、時には万を越える患者が、ほんの少数の医師の管理に委ねられていて、めったに診察もされない。看護婦や看護士の監視のもとで生かされているだけというわけで、かつては地位も名誉もあった人が再起をはかれるようなところではなかったのである。たとえ退院できたとしても、アル中とうレッテルをしっかりと貼られた、生きる屍としての人生しか残されていなかった。
しかし、精神病院に入るのがいやだとすると、残された道は刑務所しかなかった。本とちがって当時のアメリカはアル中を犯罪者として扱っていた。公衆酩酊罪というのがあって、酔ってフラフラしていると捕まるし、何度か捕まると刑務所ゆきになったのである。この制度は1970年まで続いてから、金がかかりすぎるわりには効果がないということで廃止され、代わりにNIAAA(国立アルコール乱用アルコール症研究所)ができて、かつての酩酊犯罪者はいまでは病人ということになっている。
 そういうわけでビルがアル中であった当事は、一部の金持ちを除けば、劣悪な環境の精神病院か刑務所だけが、アル中の面倒をみていたわけである。こういう状況の中で、精神病院にも刑務所にもやっかいにならずに何とか生き残りをはかろうとする中流階級のアル中たちが集まったのがAAであった。つまり、AAは「医療では救われない」というところから始まっているのであって、ここのところはきちんと押さえておく必要がある。医療ではカバーできないところから始まる「健康問題」というのが、実はたくさんあるのであって、こうしたところで医療が役割をとりすぎるとロクなことがないのである。アル中の回復というのもそうした問題の一つである。
 AAが順調に発展しはじめた1950年になって、ビルの妻ロイスはアラノン(Al-Anon) 家族グループというセルフ・ヘルプグループをつくった。アラノンに集まったのは主としてアル中の妻たちだったのだが、彼女たちは医療に対して、AAのメンバーたちよりさらに批判的であった。あんな施設に自分の愛する夫や子どもたちを預けられないと思っていた。
* 回復と12ステップ
AAには12ステップ(表1)という回復のプログラムがあり、これをつくったのもビルであった。そのビルは酒をやめてからも心身健康というわけにはいかなかったのである。彼は20歳から39歳までの15年間、ひどい抑うつに悩むうつ病患者としてすごしたのだった。この間、何度も自殺の危機があり、精神分析を受けたり、薬を服用したりしたがよくならなかった。
しかしやがて、「この抑うつそのものが自分の一部なのだ」と考えられるようになった。ビル流の言いまわしだと、「喜びが神の摂理であるのなら、抑うつもまた神の恵みの一つ」ということである。こういう考えに達した後でようやくいくらか楽になった。こうした状態のまま気力をふり絞ってAAの20周年行事をこなし、これが終わってみると、長年続いた抑うつはきれいに拭い去られていたのだった。
ビルがたどり着いた境地は人間の成長という観点からみて、かなり高いものだと思うが、断酒だけでこれができたわけではない。成長には限りがない。しかし断酒なしでは成長の途につくこともできない。
12ステップは、こうした抑うつに苦しむビルの頭から絞り出されたものである。12ステップの第1は「われわれはアルコールに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた」ということである。第2ステップは「自分自身よりも偉大な力が、われわれを正気に戻してくれると信じられるようになった」。第3ステップは「われわれの意志と生命を、自分で理解している神、ハイヤーパワーの配慮にゆだねる決心をした」となっている。
表1 AAの12ステップ
1. われわれはアルコールに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。
2. 自分自身よりも偉大な力が、われわれを正気に戻してくれると信じられるようになった。
3. われわれの意志と生命を、自分で理解している神、ハイヤー・パワーの配慮にゆだねる決心をした。
4. 探し求め、恐れることなく、生きて来たことの棚卸表を作った。
5. 神に対し、自分自身に対し、もうひとりの人間に対し、自分の誤りの正確な本質を認めた。
6. これらの性格上の欠点をすべて取り除くことを、神にゆだねる心の準備が完全にできた。
7. [...]