より良い関係づくりのエッセンス 4

4.“回復が進んでいくと成長がある”といのは本当です

 よく自助グループで、「回復を続けていくと成長がある」と言われていますが、本当なのでしょうか?

 自助グループの中や私たち医療機関の中で治療中の人たちに、自助グループってどんなところ?依存症ってどんな風に治療して回復していくの?という話をしているときに時々話していることなのですが、『回復をしっかり続けて行くと、いつしか人からもうらやまれるような、尊敬されるような、成長の段階へと転換していきます』・・・と。自助グループの人にとっては、このことを感覚的にその通りだなという風に実感できる方もいらっしゃると思いますが、回復を続けていけば成長していけるというのは本当のことなのだ、信じてもいいのだ、という種明かしをしてみたいと思います。

 まず、自分の飲酒や薬の使用が依存症にまでなってしまっている、自分の力だけではどうにもならなくなっていることを認める。家族や同じ病気の人や治療者からも、自分の生き方を見直していくために提案を受け入れヒントをもらう。支えられるとか、自分のやり方以外のことにも耳を傾けてみる。こういう心を開いていくことを最初にし始めますね。その時に出会うのが医療機関の治療スタッフや、仲間、先ゆく先輩たちです。同じ病気の人たち、同じような体験をしてきた人たちに出会っていくわけですけど、意地や我慢の断酒でなく、身体や心がどうなってきているかそれを自分でもきちんと観察して、参ってしまった心や身体、神経、それと生活を元のように戻していくためには、まずは、一日一日飲まない日々の積み重ねを実行していくのです。一人で悶々としないですむように、断酒会やAAに通って人の居る温かいところに身を置く。たとえるなら温泉みたいなところだと思うんですけど・・・温泉療法というのは1回で効き目があるわけではなくて、繰り返し、繰り返し、週に1、2回の場合もあるし、あるいは1日1、2時間を毎日のように続けていって、持病を軽くしたり寒さやストレスでダメージを負った自分を癒しますね。自助グループにつながって参加を続けると、一人で悶々としなくていいし、あるいは、飲みたい自分を必要以上に恥ずかしく思わなくてもいいし、飲んでいない自分を互いにたたえ合う効果もある。「○○さん、今日も酒やめてるって、すごいね。ようやってる!」「自分も、○年飲んでないんです」というように誰かと尊敬し合って、尊重し合う、そういうところが自助グループです。また適切な医学的支援や回復過程に応じた治療を受けるために医療機関に繋がる方が安全に断酒継続をスタートできます。こんなふうに数年かけて飲まないことに身体や心や生活が慣れてくるまでの期間、新たな試練や生きていく上でのストレスも飲まずに生きていく力をつけていく期間、こういう時期は機能回復のために費やされます。病気になったあるいはダメージを受けたところを修復していく、取り戻していく、少しずつ元気になっていくのです。元通りとは言えなくても、それなりに生きるパワーや喜びを取り戻していくのです。

 ところが、自助グループの役割や効果はここで終わらないんです。人によっては死ぬまで通いますよね。ここに、実は醍醐味がありまして、3年5年という治療期間のくくりはどんな病気でも必要とされていて、「3年、5年は再発の危険もありますから、検査や治療のアフターケアを続けましょう」と言われますけど、依存症にもそれは当てはまっていて、まず生き延びて断酒生活を3年5年と続けていくのは多大なエネルギーが要ることで、成し遂げることじたい大変なことです。つまり、死亡率の高いこの病気になって、3年5年と断酒や自助グループ出席が続けられる、そういう習慣力が既についているということは、ものすごい意味を持っています。更に断酒生活の基礎作りの上に、自分はこれからしらふでどう生きたいのか、しらふでどんなことをやってみたいのか、考え実践するという成長の時期がやってくるのです。

 断酒することがゴールではないということもよく言われています。飲まないで生きていけるようになったら、薬を使わないで生きていけるようになったら、次は周囲の人々と工夫しながらうまくかかわっていく時期です。自分の生活上の役割を見つけていくといったところにエネルギーを注いで頂きたいのです。3年とか5年とか飲まずに生活してきた(薬物依存の人でしたら薬を使わずに生活してきた)、自助グループ参加を続けてきた人として、今日みたいな行事を開催することになれば、実行委員になったり、実行委員会に出たり、いろんなお手伝いの人が必要になりますから、みんなで一緒に縁の下の力持ちをされておられますが、こういうことにも気を配れるようになります。何時に集合してどんな役割をするのか、こういった行事に行くためにはどういう時間のやりくりをしないといけないのか、そういったもろもろのことがたくさんある生活をみなさんは自主的に管理したり、感情のコントロールをしておられます。ちょっとムカッとすることがあっても、まぁ落ち着けと思ったり、ああ失敗したなと思っても、今度はその失敗を覚えておいて次回の参考にしてみようと思ったり、このようなことをできている人っていうのは、実は誰からみても尊敬に値する人々なのです。

 一般の人たちが自分もこうなりたいなぁ、こんな風でありたいなぁと求めているような生き方が、依存症からの回復プロセスのある時期からできるようになっているのです。このことをみなさんはもっと実感してもいいのではないでしょうか。自助グループの人たちと接したことがある行政や地域の人達は、この人の生き方はいい感じだなという感覚をお持ちになると思います。市民酒害セミナーの主催にかかわる行政の方が「断酒会の実行委員の人たちと接していると非常に穏やかな感じですね。」とおっしゃっておられましたが、そういう何か伝ってくるものがありますよね。この人たちの周りにいるとなんだか温かい気持ちになったり、懐かしい気持ちになったり、こういうのいいなと思ったりします。そういう広く市民の人たちや一般の人たちからも尊敬の気持ちを持たれ、称えられ、参考にしてもらえる、目標にしてもらえる存在なのだということを、私たち知っている人たちがいろんな人にも伝えていく必要があるんじゃないかと思います。 回復から成長への話の続きですが、人は生きていれば精神疾患であろうが、肉体疾患であろうが罹りますし、生きていればいろんな精神的な重圧に向き合うことになります。みなさんのように回復と成長のプロセスに取り組んでおられる方々の習慣の中に、この人類があまり経験していない時代を生きていくいろんなヒントが隠されていると思っています。ある時期から、尊敬に値する生き方ができる人になる、そういうところまで回復して、そして成長していくわけです。今度は、それを生かして周囲の大切な人々への心配り、責任、義務を発揮する。自分の回復や自分の人生に責任をとるとともに、精神力や生活の耐久力などの力も強まっていくのです。やめはじめた最初はお酒を飲まないで過ごすだけで、エネルギーの多くは消耗されてしまいます。病院に行って家に帰ってくるとクタクタで、いつ寝たんだろうというような感じでバタンキューの時もあるかもしれませんし、自助グループに一生懸命に行くだけで一日があっという間の時もあるでしょう。でも少しずつ休みの日に行事があっても翌週、平気でまた1週間・1カ月が始められ、自分で少しはタフさが身についたかなと自身に思えるようになるでしょう。

 そうやってエネルギーがついてきたら次にやっていただきたいこと、やった方がいいこと、それが「関係づくり」なんです。回復段階で言いますと、依存症が自分の中から消えてなくなっていくわけではありませんので、油断しないで再発予防についての心構えを持つことがその人の生き方の柱になっていて、でも長年の断酒のプロセスも経てきているので、不健康な習慣を正す力も身についていて、そのために質の高い生き方ができるようになっている。このあたりは、人々が目指すよりよい習慣をいろいろ身につけているという状態になっているというわけなんですね。何気なく、みなさん方これができていて、ご自分でもいつ頃からできるようになったのか、どうやったらできるようになったのかを意識しておられないかもわかりませんが、他人からみても、是非ともそうなりたい習慣を実はいろいろと持っておられるのです。その力、それをつけていく場として自助グループの機能は非常に重要だと思います。医療機関がなくなっても自助グループは生きています。生き続けていけます。依存症の啓発もどんどん進んで、回復できる人たちがどんどん増えていたらいいなと思います。

 成長という時期に入っても、生きていれば、困難なことや欲求不満や物事がうまくいかない日もあるし、思ったようになってくれない人の10人や20人は出てくるでしょう。身近な家族や職場の人たちというのは接する機会が多いですから、思うようになってくれないと思う回数も多くて、時折、本当にこの人は一体どんな人なんだろう!この人といるとしんどい!!親でもない子でもない!!・・・みたいに思うときもあるでしょう。それが生きていれば当然の人間関係で、痴話喧嘩やちょっとした冷戦状態は無くなりはしない。それを重圧に感じてまた苦しむか、まぁなんとかなるかと感じるかは自分次第。自助グループに行った時に、ここらへんをこうしとけば良かったんだな、自分はこの辺を直さないといけないなと気づいて苦笑いできるようになっていたらたいしたものです。

 そうした中で、自分の基本的な役割、周囲の人への心配り気配りを果たしながら、人間関係を維持していくという、断酒継続と自助グループ活動のもう一方の面にもエネルギーを注ぎ始めます。こういう回復過程の中盤以降は、いつしか飲まない人というだけではなくて、子どものいる人は子どもに自分の教養を伝えるとか声をかけるとか、配偶者や親のいる人は労力を労うとか感謝をするとか、そういうような自分がやることの範囲を広げておられるんじゃないでしょうか。結果より、続けることが大事だと思います。自分の身近な大切な人に声をかける。自分の持っている、知っている良いことは身近な人にも伝える。一緒に共有する。自分のためにしてくれたのかなということには感謝する。ありがとうと伝える。自分も相手に感謝されたり、ありがとうと受け入れてもらえる。そういうことに心を配ってエネルギーをさいていくのです。そういうふうに断酒を続けて3年5年経てば、していかなくてはいけないと思います。そうしていれば、穏やかな人間関係や欲しかった関係に少しずつ入っていけます。回復を続けていくとその先には、芯のありそうな人で信頼できる、こういうところ真似したいなと一般の人から見ても目標にされるような人物へと成長していくのです。

 そういう方々を大勢見てきましたので、回復を続けていくと成長は必ずあります。回復だけのために、病気が一段落するためだけに、自助グループや仲間の存在があるのではありません。家族や身近な人を度外視しないで大切にしていく、大切にしてもらう。そういう関係づくりが、実は回復の先の成長というところの中身になってくるのです。一般の人々も依存症になっていない人々も、そうありたいと願っているような行き方を手に入れる可能性が回復を続けていればあります。ただし、年月がかかります。3カ月でとか、1年でしれを叶えられる人はいませんが、年単位ではそうなっていくことは間違いありません。大切な人々への期待とか依存ではなく、自分から能動的に何ができるかを実行していく。毎週2回ゴミを出している男性もいるでしょう。夕食作りをしているお父さんもいるでしょう。孫の保育園の送り迎えをしているおじいちゃんもいるでしょう。食事の後の洗い物をしている人もいるでしょう。奥さんの会話をうんうんと根気よく聞いている人もいるでしょう。自分に無理なくできそうなところから続けて、自分から能動的に何ができるか実行していくこと、これを皆さん方は自然と身につけておられる方もいらっしゃるし、自然と身につけている人から「あっ そういうことをしたほうがいいんだな」と雰囲気で学んだ人もいるでしょう。とにかく皆さんの周りにいて忘れられている人、おろそかになっている人はいらっしゃいませんか?気にかけて、責任を果たしておられますか?人間は弱い存在でもあります。弱い自分も受け入れ、自分のカッコ悪さをどこかで話せたり誰かに聞いてもらえたりしていますか?誰かのそういう話に「自分にもそういうところあるな?」と認めておられますか?肩の力が抜けてきているのを感じますか?

重要なお知らせ

第3日曜日(合同例会断酒表彰)変更について

4.“回復が進んでいくと成長がある”といのは本当です
 よく自助グループで、「回復を続けていくと成長がある」と言われていますが、本当なのでしょうか?
 自助グループの中や私たち医療機関の中で治療中の人たちに、自助グループってどんなところ?依存症ってどんな風に治療して回復していくの?という話をしているときに時々話していることなのですが、『回復をしっかり続けて行くと、いつしか人からもうらやまれるような、尊敬されるような、成長の段階へと転換していきます』・・・と。自助グループの人にとっては、このことを感覚的にその通りだなという風に実感できる方もいらっしゃると思いますが、回復を続けていけば成長していけるというのは本当のことなのだ、信じてもいいのだ、という種明かしをしてみたいと思います。
 まず、自分の飲酒や薬の使用が依存症にまでなってしまっている、自分の力だけではどうにもならなくなっていることを認める。家族や同じ病気の人や治療者からも、自分の生き方を見直していくために提案を受け入れヒントをもらう。支えられるとか、自分のやり方以外のことにも耳を傾けてみる。こういう心を開いていくことを最初にし始めますね。その時に出会うのが医療機関の治療スタッフや、仲間、先ゆく先輩たちです。同じ病気の人たち、同じような体験をしてきた人たちに出会っていくわけですけど、意地や我慢の断酒でなく、身体や心がどうなってきているかそれを自分でもきちんと観察して、参ってしまった心や身体、神経、それと生活を元のように戻していくためには、まずは、一日一日飲まない日々の積み重ねを実行していくのです。一人で悶々としないですむように、断酒会やAAに通って人の居る温かいところに身を置く。たとえるなら温泉みたいなところだと思うんですけど・・・温泉療法というのは1回で効き目があるわけではなくて、繰り返し、繰り返し、週に1、2回の場合もあるし、あるいは1日1、2時間を毎日のように続けていって、持病を軽くしたり寒さやストレスでダメージを負った自分を癒しますね。自助グループにつながって参加を続けると、一人で悶々としなくていいし、あるいは、飲みたい自分を必要以上に恥ずかしく思わなくてもいいし、飲んでいない自分を互いにたたえ合う効果もある。「○○さん、今日も酒やめてるって、すごいね。ようやってる!」「自分も、○年飲んでないんです」というように誰かと尊敬し合って、尊重し合う、そういうところが自助グループです。また適切な医学的支援や回復過程に応じた治療を受けるために医療機関に繋がる方が安全に断酒継続をスタートできます。こんなふうに数年かけて飲まないことに身体や心や生活が慣れてくるまでの期間、新たな試練や生きていく上でのストレスも飲まずに生きていく力をつけていく期間、こういう時期は機能回復のために費やされます。病気になったあるいはダメージを受けたところを修復していく、取り戻していく、少しずつ元気になっていくのです。元通りとは言えなくても、それなりに生きるパワーや喜びを取り戻していくのです。
 ところが、自助グループの役割や効果はここで終わらないんです。人によっては死ぬまで通いますよね。ここに、実は醍醐味がありまして、3年5年という治療期間のくくりはどんな病気でも必要とされていて、「3年、5年は再発の危険もありますから、検査や治療のアフターケアを続けましょう」と言われますけど、依存症にもそれは当てはまっていて、まず生き延びて断酒生活を3年5年と続けていくのは多大なエネルギーが要ることで、成し遂げることじたい大変なことです。つまり、死亡率の高いこの病気になって、3年5年と断酒や自助グループ出席が続けられる、そういう習慣力が既についているということは、ものすごい意味を持っています。更に断酒生活の基礎作りの上に、自分はこれからしらふでどう生きたいのか、しらふでどんなことをやってみたいのか、考え実践するという成長の時期がやってくるのです。
 断酒することがゴールではないということもよく言われています。飲まないで生きていけるようになったら、薬を使わないで生きていけるようになったら、次は周囲の人々と工夫しながらうまくかかわっていく時期です。自分の生活上の役割を見つけていくといったところにエネルギーを注いで頂きたいのです。3年とか5年とか飲まずに生活してきた(薬物依存の人でしたら薬を使わずに生活してきた)、自助グループ参加を続けてきた人として、今日みたいな行事を開催することになれば、実行委員になったり、実行委員会に出たり、いろんなお手伝いの人が必要になりますから、みんなで一緒に縁の下の力持ちをされておられますが、こういうことにも気を配れるようになります。何時に集合してどんな役割をするのか、こういった行事に行くためにはどういう時間のやりくりをしないといけないのか、そういったもろもろのことがたくさんある生活をみなさんは自主的に管理したり、感情のコントロールをしておられます。ちょっとムカッとすることがあっても、まぁ落ち着けと思ったり、ああ失敗したなと思っても、今度はその失敗を覚えておいて次回の参考にしてみようと思ったり、このようなことをできている人っていうのは、実は誰からみても尊敬に値する人々なのです。
 一般の人たちが自分もこうなりたいなぁ、こんな風でありたいなぁと求めているような生き方が、依存症からの回復プロセスのある時期からできるようになっているのです。このことをみなさんはもっと実感してもいいのではないでしょうか。自助グループの人たちと接したことがある行政や地域の人達は、この人の生き方はいい感じだなという感覚をお持ちになると思います。市民酒害セミナーの主催にかかわる行政の方が「断酒会の実行委員の人たちと接していると非常に穏やかな感じですね。」とおっしゃっておられましたが、そういう何か伝ってくるものがありますよね。この人たちの周りにいるとなんだか温かい気持ちになったり、懐かしい気持ちになったり、こういうのいいなと思ったりします。そういう広く市民の人たちや一般の人たちからも尊敬の気持ちを持たれ、称えられ、参考にしてもらえる、目標にしてもらえる存在なのだということを、私たち知っている人たちがいろんな人にも伝えていく必要があるんじゃないかと思います。 回復から成長への話の続きですが、人は生きていれば精神疾患であろうが、肉体疾患であろうが罹りますし、生きていればいろんな精神的な重圧に向き合うことになります。みなさんのように回復と成長のプロセスに取り組んでおられる方々の習慣の中に、この人類があまり経験していない時代を生きていくいろんなヒントが隠されていると思っています。ある時期から、尊敬に値する生き方ができる人になる、そういうところまで回復して、そして成長していくわけです。今度は、それを生かして周囲の大切な人々への心配り、責任、義務を発揮する。自分の回復や自分の人生に責任をとるとともに、精神力や生活の耐久力などの力も強まっていくのです。やめはじめた最初はお酒を飲まないで過ごすだけで、エネルギーの多くは消耗されてしまいます。病院に行って家に帰ってくるとクタクタで、いつ寝たんだろうというような感じでバタンキューの時もあるかもしれませんし、自助グループに一生懸命に行くだけで一日があっという間の時もあるでしょう。でも少しずつ休みの日に行事があっても翌週、平気でまた1週間・1カ月が始められ、自分で少しはタフさが身についたかなと自身に思えるようになるでしょう。
 そうやってエネルギーがついてきたら次にやっていただきたいこと、やった方がいいこと、それが「関係づくり」なんです。回復段階で言いますと、依存症が自分の中から消えてなくなっていくわけではありませんので、油断しないで再発予防についての心構えを持つことがその人の生き方の柱になっていて、でも長年の断酒のプロセスも経てきているので、不健康な習慣を正す力も身についていて、そのために質の高い生き方ができるようになっている。このあたりは、人々が目指すよりよい習慣をいろいろ身につけているという状態になっているというわけなんですね。何気なく、みなさん方これができていて、ご自分でもいつ頃からできるようになったのか、どうやったらできるようになったのかを意識しておられないかもわかりませんが、他人からみても、是非ともそうなりたい習慣を実はいろいろと持っておられるのです。その力、それをつけていく場として自助グループの機能は非常に重要だと思います。医療機関がなくなっても自助グループは生きています。生き続けていけます。依存症の啓発もどんどん進んで、回復できる人たちがどんどん増えていたらいいなと思います。
 成長という時期に入っても、生きていれば、困難なことや欲求不満や物事がうまくいかない日もあるし、思ったようになってくれない人の10人や20人は出てくるでしょう。身近な家族や職場の人たちというのは接する機会が多いですから、思うようになってくれないと思う回数も多くて、時折、本当にこの人は一体どんな人なんだろう!この人といるとしんどい!!親でもない子でもない!!・・・みたいに思うときもあるでしょう。それが生きていれば当然の人間関係で、痴話喧嘩やちょっとした冷戦状態は無くなりはしない。それを重圧に感じてまた苦しむか、まぁなんとかなるかと感じるかは自分次第。自助グループに行った時に、ここらへんをこうしとけば良かったんだな、自分はこの辺を直さないといけないなと気づいて苦笑いできるようになっていたらたいしたものです。
 そうした中で、自分の基本的な役割、周囲の人への心配り気配りを果たしながら、人間関係を維持していくという、断酒継続と自助グループ活動のもう一方の面にもエネルギーを注ぎ始めます。こういう回復過程の中盤以降は、いつしか飲まない人というだけではなくて、子どものいる人は子どもに自分の教養を伝えるとか声をかけるとか、配偶者や親のいる人は労力を労うとか感謝をするとか、そういうような自分がやることの範囲を広げておられるんじゃないでしょうか。結果より、続けることが大事だと思います。自分の身近な大切な人に声をかける。自分の持っている、知っている良いことは身近な人にも伝える。一緒に共有する。自分のためにしてくれたのかなということには感謝する。ありがとうと伝える。自分も相手に感謝されたり、ありがとうと受け入れてもらえる。そういうことに心を配ってエネルギーをさいていくのです。そういうふうに断酒を続けて3年5年経てば、していかなくてはいけないと思います。そうしていれば、穏やかな人間関係や欲しかった関係に少しずつ入っていけます。回復を続けていくとその先には、芯のありそうな人で信頼できる、こういうところ真似したいなと一般の人から見ても目標にされるような人物へと成長していくのです。
 そういう方々を大勢見てきましたので、回復を続けていくと成長は必ずあります。回復だけのために、病気が一段落するためだけに、自助グループや仲間の存在があるのではありません。家族や身近な人を度外視しないで大切にしていく、大切にしてもらう。そういう関係づくりが、実は回復の先の成長というところの中身になってくるのです。一般の人々も依存症になっていない人々も、そうありたいと願っているような行き方を手に入れる可能性が回復を続けていればあります。ただし、年月がかかります。3カ月でとか、1年でしれを叶えられる人はいませんが、年単位ではそうなっていくことは間違いありません。大切な人々への期待とか依存ではなく、自分から能動的に何ができるかを実行していく。毎週2回ゴミを出している男性もいるでしょう。夕食作りをしているお父さんもいるでしょう。孫の保育園の送り迎えをしているおじいちゃんもいるでしょう。食事の後の洗い物をしている人もいるでしょう。奥さんの会話をうんうんと根気よく聞いている人もいるでしょう。自分に無理なくできそうなところから続けて、自分から能動的に何ができるか実行していくこと、これを皆さん方は自然と身につけておられる方もいらっしゃるし、自然と身につけている人から「あっ そういうことをしたほうがいいんだな」と雰囲気で学んだ人もいるでしょう。とにかく皆さんの周りにいて忘れられている人、おろそかになっている人はいらっしゃいませんか?気にかけて、責任を果たしておられますか?人間は弱い存在でもあります。弱い自分も受け入れ、自分のカッコ悪さをどこかで話せたり誰かに聞いてもらえたりしていますか?誰かのそういう話に「自分にもそういうところあるな?」と認めておられますか?肩の力が抜けてきているのを感じますか?