院長からのメッセージ 認知療法編 2

認知の偏りの代表的なものとして、「部分と全体の見極めがつかない」というものがあります。以下の認知障害は、部分と全体の見極めがつかない解釈の仕方です。

体験に対する認知障害

 私たちは、様々な体験をしながら生きています。その中で、私たちの感情、怒り、不平不満、抑うつなどマイナス感情に導く体験は、ある種の拒絶体験です。拒絶体験に出会ったとき、部分と全体の区別がつかず全体を拒絶されたと自動的に認知してしまい、過剰な怒りや抑うつ感情が出現します。

集団に対する認知障害

 私たちは、様々な集団に属しながら生きています。家族という集団、学校のクラスという集団、職場の部署という集団、あるいは、その他趣味などの集団です。その中で、数人自分と波長の合わない人がいるとその集団全体がダメかのように思い、マイナス感情にさいなまれ、その集団そのものを否定するようになります。

人間性に対する認知障害

 自分も含めて、人間と言うものは数々の欠点や長所の集合体です。しかし、自分の欠点だけを見て良い面を見られない人は、自己嫌悪に陥ったり、自己卑下、自分に対する自身の無さがつきまとったりします。次に、他人の欠点にだけ着目して長所を見られない人は、対人関係の悩みにいつもつきまとわれています。

時間・空間に対する認知障害

 私たちは、日々、時間と空間の中で過ごしています。その中で、一部分不愉快な時間帯があったり、不愉快な空間に居たりすると、それだけで、その不愉快な時間帯だけでなく、

その他の時間帯も感情を害したまま過ごすことが多いわけです。

重要なお知らせ

第3日曜日(合同例会断酒表彰)変更について

認知の偏りの代表的なものとして、「部分と全体の見極めがつかない」というものがあります。以下の認知障害は、部分と全体の見極めがつかない解釈の仕方です。

体験に対する認知障害
 私たちは、様々な体験をしながら生きています。その中で、私たちの感情、怒り、不平不満、抑うつなどマイナス感情に導く体験は、ある種の拒絶体験です。拒絶体験に出会ったとき、部分と全体の区別がつかず全体を拒絶されたと自動的に認知してしまい、過剰な怒りや抑うつ感情が出現します。

集団に対する認知障害
 私たちは、様々な集団に属しながら生きています。家族という集団、学校のクラスという集団、職場の部署という集団、あるいは、その他趣味などの集団です。その中で、数人自分と波長の合わない人がいるとその集団全体がダメかのように思い、マイナス感情にさいなまれ、その集団そのものを否定するようになります。

人間性に対する認知障害
 自分も含めて、人間と言うものは数々の欠点や長所の集合体です。しかし、自分の欠点だけを見て良い面を見られない人は、自己嫌悪に陥ったり、自己卑下、自分に対する自身の無さがつきまとったりします。次に、他人の欠点にだけ着目して長所を見られない人は、対人関係の悩みにいつもつきまとわれています。

時間・空間に対する認知障害
 私たちは、日々、時間と空間の中で過ごしています。その中で、一部分不愉快な時間帯があったり、不愉快な空間に居たりすると、それだけで、その不愉快な時間帯だけでなく、
その他の時間帯も感情を害したまま過ごすことが多いわけです。