院長からのメッセージ
第15回「対象的自己(社会的自己)と本質的自己について」
2018.10.5
たとえば、テレビのコマーシャルや情報番組を代表とするメディアからの発信に従ってしまい、自分が本当に欲しいものを買う代わりにコマーシャルにつられて買い物をしてしまう。自分が本当に行きたい場所に行く代わりにコマーシャルやその他の情報に従い行く場所を決定する。その結果、週末になると特定の場所ばかりが込み合うことになります。多くの人が、このような社会や世間が発する対象的自己を中心に生きているのです。
たとえば、女性の痩せ願望からくる摂食障害などは“女性はスリムでなければならない”と、大量に発信される情報の犠牲者とも言えます。
1960年代までは、女性は豊満な肉体を持っているほうが素晴らしいという風潮でした。それまでの画家や彫刻家が表現する女性像は、全て豊満な肉体を表現したものです。女優も、マリリンモンローやソフィアローレンなどが、豊満な肉体を誇示していました。それ以前の、ギリシャ時代の彫刻も、女性像などは全て豊満な肉体を表現していたものばかりです。
しかし、ある種の産業は60年代以降、このままでは利益を上げられないことに気付き、ダイエットを押し進める情報発信を始め、現在では留まるところを知りません。
これだけ“痩せろ、痩せろ”と、言われ続けると、痩せ願望が生まれるのは当然のことです。その極端な例として拒食症があります。私が精神科医になったころ、拒食症はほとんど見られませんでした。この例は、社会が発するメッセージによって新たな、深刻な病が発生することを示しています。
これまで、講義やメッセージで示してきたように、企業家は、この激しい競争社会を乗り越えるため、アルコールを利用してきた面があります。競争社会と機能的社会を安い賃金で維持する為、新入社員にアルコールを覚えさせ、アルコールの力を借りて過酷な労働を強制し、その結果、大量飲酒者を生み出し、そこからアルコール依存症に陥る人が増えて行きました。
対象的自己を生活の中心に据える多くの人たちは、このパターンにはまってしまっています。おまけにアルコール依存症者は、自分が依存に陥っていることを認めようとしませんから、遂には社会的な破滅に繋がるのです。その他のアルコールの害はさておいて、アルコール依存症者ほど対象的自己の犠牲者はありません。
つまり、本質的自己とは、行動の基準を自分自身において、心安らかに安定して暮らしている人々のことなのです。