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アルコール症テキスト アルコール依存症の治療を障害するもの

【第一節 A・A 断酒会(自助グループ)】

 AAや断酒会が、自分の過去の障害を正直に語るという体験談を中心とした会合を持つまで、アルコール症は治癒不可能な病気であり精神的に異常な人間と見なされてきました。
 実際、体験談を中心とした自助グループができるまで先に考察したように、アルコール症は自己嫌悪や他罰的な態度で現実を否認しそれとは逆の自己のイメージに固執していたのです。
 このように、自己防衛を無意識に作り出しているアルコール症者に、周囲の人々がいくら優しく説教しても厳しく叱責しても酒を止めさせることはできなかったのです。説教や非難でアルコール症者に現実を認めさせようとすればするほど、アルコール症者は自分のイメージに逃げ込んでしまうように自己防衛ができているからです。
 これと同じように、どのような精神療法をいもってしてもアルコール症者に自分の現実の姿を認めさせ、断酒を継続させることはできませんでした。
 AAや断酒会の体験談がこのようなアルコール症者の自己防衛を打ち破ることに成功したのは、実はこの体験談そのものに秘密があります。
 過去の生々しい体験談を語るということは、とりもなおさず自分の現実を直視しそれを認めるということです。
 先の例で考えてみると、人前で醜態をさらしたのも家族に迷惑をかけたのも仕事にさしつかえたのも、全て自分が本当に行った現実のことであると認めているのが体験談なのです。
 すなわち、以前は自己嫌悪や他罰的な態度で現実を直視せず、自己のイメージに逃げ込んでいたアルコール症者に対して、体験談は今まで仮の姿であり、たまたま起こったこととして片づけていた飲酒問題を現実のものとして認めさせることができたのです。
 一般の人間にとっても、自分の現実を見つめ続けることは困難なことです。まして、アルコール依存が進行していく中で悲惨な状況に陥ってしまっている現実なら、なおさら認めたくないのは当然のことでしょう。誰にとっても、自分の現実の姿を直視するのは大変むずかしいことです。しかし、AAや断酒会に参加し体験談を語っているアルコール症者は、この困難な作業を続けているわけです。そして、自分の現実の姿がいかに悲惨であったとしてもそれを自らの責任で引き受け、自分が行ったこととして認め続け、さらにその悲惨な現実を是正するために断酒を続けなければならないという結論をだしているのです。
このような作業は、勇気ある人間だけに可能なことなのです。
断酒会の誓いの言葉にある勇気と誇りをもって断酒しよう、という言葉は、このように自分の過去の現実を直視する人々の勇気ある行為を表したものではないでしょうか。
AAや断酒会につながっている間は不思議と断酒できていたが、離れてしまうといつの間にか飲んでしまった、と語る人が多いのも以上の意味において当然のことです。
つまり、この人はAAや断酒会に参加し体験談を語っている間は、自分の現実の姿を認め続ける作業を止めたに等しいことになります。この人は、いつしか以前のような自己のイメージを持つようになり、その結果少しぐらいならと再飲酒が始まるのは時間の問題となるわけです。
このように、体験談にはアルコール症者に自分の現実の姿を自分が行ったことであると認めさせる力があります。
AAや断酒会の参加を嫌がるアルコール症者も多いのですが、このような人AAや断酒会にいけば認めたくない自分の現実の姿を突きつけられる、という無意識の恐怖をもっていることが多いようです。だから、このような人々の体験談に対する批判は、大体次のようになります。
人前で自分の過去の恥を話して何になるのだろう。自分は過去のことを水に流して新しくやり直したい。だから体験談など無意味だ。
AAや断酒会に参加しても、過去の同じような話ばかりで発展性がない。これから断酒していく上での糧となるような建設的なことを話し合えばよいのに。
このような批判こそ、逆に自分の過去の現実の姿を認めたくないという自己防衛の証拠なのです。このような態度で断酒継続が困難なのは言うまでもありません。
以上のように、自己のアルコール問題を現実の姿として認めるという自己洞察を行う場として、AAや断酒会への継続参加が絶対に必要なのです。
AAや断酒会の意味はまだまだあるのですが、体験談の意味するものとしては、アルコール症者に自己の現実を認めさせその現実を改善させるために断酒が絶対に必要であると、常に確認し続ける作用が最も大きいと思います。
次には、アルコール症者の考えの中に起こっている原因と結果の逆転について考察し、それに対してAAや断酒会の体験談がどのようにその逆転を改善させる力を持っているかを述べてみましょう。

【第二節 アルコール症の悪循環】
 アルコール症が回復困難な病気である大きな原因は、飲酒という行為とそれがつくりだしたいろいろな障害が相互に悪循環を形成してしまうところにあります。 
 その悪循環について一つずつ見ていきましょう。
 第一の悪循環は、飲み方の異常で説明したようにこの病気の本質と深い関係にあります。
 飲酒を続けていたアルコール症者が酒を断つと、様々な離脱症状が出現します。この苦しみから逃れるために再飲酒が始まります。そして、また禁酒を試みようとしても、身体から酒が切れてくると病的な飲酒欲求が起こり、またアルコールに手が出てしまいます。
 この悪循環を延々と繰り返しているのがアルコール症者です。
 第二の悪循環は、人間関係の障害の間に形成されます。
 別章で考察したように、長期間にわたって飲酒生活を続けているアルコール症者は、しだいにその人間関係を崩壊させていくものです。
 家庭内においても職場内においても、あるいは親や兄弟を中心にした親戚関係であっても、誰からも受け入れられない状況にアルコール症者は追い込まれてしまいます。
 このように誰からも信頼されない状況は、人間にとって最もつらいことです。このようなつらい状況から逃れるために、アルコール症者はさらにアルコールを求めるようになってしまいます。
 そして、そのアルコールがさらにさらに人間関係の障害を深刻にさせ、アルコール症者は孤立していきまたさらにアルコールを求めるといった際限のない悪循環にはまり込んでしまうわけです。
 飲酒と心の障害も、同じように第三の悪循環を形成しています。
 飲酒生活が長く続く中で人間関係は様々な障害を受け、アルコール症者は信用をなくしていきます。そのような状況の中で、アルコール症者の心は満たされない思いや悲しみ・挫折感・怒り・他罰的な態度などいろいろなマイナスの感情でいっぱいになってしまうものです。
 また逆に、現在の悲惨な状態の中で自己嫌悪や不安感・罪責感で悩む人も多いことでしょう。
このようなどうしようもない思い、つまり傷つき疲れた心から何とか逃れようとアルコール症者はさらにアルコールを求め、そのアルコールが次の障害につながり、また酒にのめり込むといった堂々巡りの悪循環にはまり込んでしまうのです。
 第四の悪循環は、飲酒と生活障害の間に形成されます。
 肝腎な時や、その他自分の役割を果たさねばならない場面に飲酒していたという事実が、アルコール症者から生活能力を奪ってしまいます。その詳細については、アルコール関連生活障害の章で述べていますのでもう一度読み返してください。
 とにかく、アルコール症者は長年の飲酒生活の結果、生活者としての力と失っており、一定の生活パターンしかできなくなっている人が多いのです。ですから、この単調な生活パターンから外れた場面に出会うとたちまち混乱し、飲酒に結びついてしまうわけです。断酒継続している人が失敗するのも、このようなストレスにさらされた時が多いようです。
 問題に直面した時、いつもアルコールに逃避していたのではいつまでたっても問題解決の能力が身に着くはずがありません。
 こうして飲酒生活の中でストレスに弱くなったアルコール症者が、ストレスに直面した時に反射的に飲酒することによって、さらに諸問題を解決する能力を低下させるという悪循環ができてしまうのです。
 これでは、いつまでたっても断酒継続は不可能でしょう。
 最後の悪循環は、飲酒と身体障害との間のものです。
 長年飲酒を続けていると、当然身体のあちこちが痛んできます。例えば肝臓が障害されると、全身の何とも言えないだるさや食欲不振、肝臓部の鈍痛などの不快な症状が出現します。
 胃や十二指腸の炎症や潰瘍もアルコール症者に多発する病気ですが、やはり胃部の不快感や痛みが出ます。
 また、アルコール症者に特有の多発性の神経炎が進行すると、下肢の感覚異常や痛みなどの不快な症状が出現します。
 以上のように、人間の身体が障害されるとその病変に応じた様々な不快な症状が出現して、病気になっていることを知らせる仕組みになっていることを知らせる仕組みになっているわけです。
 しかし、アルコール症者にとって、このような不快な症状を簡単に取る鎮痛剤として、アルコールが一番楽な飲み物になっています。
 こうして、飲酒生活→身体障害による不快な症状→さらに飲酒してごまかす身体はさらに悪化する、といった悪循環がいつまでも続いてしまいます。
 以上述べてきたように、飲酒がつくりだした全ての障害が次の飲酒を呼び、さらにいろいろな障害を悪化させるという蟻地獄のような悪順循環がいつのまにかできてしまい、どうしてもそこから抜け出せなくなってしまうのがアルコール症の特徴です。
 そして、kぽのがんじがらめの悪循環がアルコール症の回復の大きな壁になっているわけです。
 以下に、その悪循環を図式してみましょう。
 この図のように、最終的にどこからでも飲酒に返ってしまうのがアルコール症なのです。だから、この一つだけを治してもアルコール症が回復するわけがないという理由がここにあるのです。

【第三節 原因と結果の逆転】
 前節で説明してきたように、飲酒生活が原因で種々の障害が生まれ、さらに飲酒に走るという悪循環ができてしまうのがアルコール症です。
 つまり、そもそもの始まりは依存的な飲み方に原因があって、その結果として種々の障害が生まれたはずです。
 しかし、自分がアルコール症になっていることに気付かない人はそうは思っていません。なぜなら、彼らの中で原因と結果の逆転が起こっているからです。
 たとえば、酒が切れると手が震えて仕事にならない。だから仕方なく一杯飲んで仕事にかかるのです、と言う人がいます。
 本来は、アルコール症が原因であり手が震えるなどの離脱症状は結果にすぎないのですが、彼は頑固に手の震えということを次の飲酒の原因と考えているわけです。
 同じように、飲酒生活が原因で人間関係が障害されたのに家族が冷たいから酒を飲んでしまうとか、職場の人々が自分を認めないからつい飲んでしまうと考えているアルコール症者もいます。
 これも、原因と結果の逆転です。
 さらに、長年にわたる飲酒が原因でアルコール症者の心がマイナスの感情に傾いていくという結果になっているのに、そのことに気付いているアルコール症者も少ないのです。
 彼らはこう言います。
 このどうしようもない思いから逃れるために、自分は酒を飲んでいるのだ。
 ここでも逆転が起こっています。
 その他、飲酒生活の中で生活者としての能力が低下し、生活場面での壁をしらふで乗り越えられなくなっていることに気付かない人もたくさんいます。そして、ここでも原因と結果の逆転が起こっています。
 せっかく断酒していたのに、自分の思い通りにならないストレスに出会わして、再飲酒してしまった。このように述べる人も、原因と結果の逆転が起こっているのです。つまり、ストレスがあったから飲酒したという時、この人にとってそのストレスが飲酒につながる原因と思い込んでいるわけです。しかし話は全く逆で、飲酒生活の結果ストレスに弱い人間になったのではないでしょうか。
身体面の病気についても同じことが言えます。
体がだるいから、胃が痛いから、足がしびれて痛いから、どうしようもなくて飲んだとアルコール症者が述べる時、ここでも原因と結果の逆転が起こっているわけです。
 本当は、飲酒を続けているから身体が悪くなったはずです。
以上のように、アルコール症者の中では全ての面において原因と結果の逆転が起こっていることが多いのです。
では、このような態度でアルコール症者は一体何を守ろうとしているのでしょうか。
 答えは簡単です。
アルコールが原因でいろいろな障害が出てきたという事実から目をそらし、自己の飲酒を正当化しようとしているわけです。
つまり、世間からの非難に対して自分のアルコールは問題ない。仕方なしに飲んでいるだけだと無意識に自己弁護しているのです。
しかし、このように自分のアルコール問題から目をそらし続けている間は、本当の断酒生活などできるはずがありません。
もう一度、正しい原因と結果を確認することが、アルコール症からの回復のためには必要になってきます。
それができる場として、AAや断酒会があります。そして、その中で語られる体験談を素直に聞き続け、また自ら語り続ける必要があります。
その中で、今まで飲酒の原因と考えていたいろいろな問題が、逆に飲酒生活の結果であったと気づくことでしょう。
 この意味においても体験談は絶対必要なのです。
本書は、アルコール症についての医学的な説明書ではありません。アルコール症者やその家族に、この病気についてあらゆる角度から考えていただくヒント集として利用して頂ければ幸いです。


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