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アルコール症テキスト アルコール依存症の治療を障害するもの

 アルコール症からの回復の第一歩は、酒に身も心も奪われてい た姿を認めることから始まります。
飲酒行動を自らの力でコントロールできない状態になってしまっ た事実を認めることから、アルコール症の治療がスタートするので すが、世間一般に拡がっているアル中のイメージが強すぎるため、 どうしてもこの第一歩を踏み出せない人々が多くいるのです。
 それでは、世間で一般に考えられているアル中のイメージとは、 どのようなものでしょうか。以下にその代表的なイメージを述べて みましょう。
(イ) 酒を飲んで暴力をふるう人々
(ロ) 昼間から仕事もしないで酔いつぶれて道端で寝ている人々
(ハ) 酒なかり飲んで仕事も家庭も失った人々
(ニ) 幻覚症状など精神病症状が出現して、精神病院に閉じ込められている人々
(ホ) 酔った後、反社会的、反道徳的な行動をしてしまい警察沙汰になる人々
(ヘ) しかも酔いがさめた後、何をしたか覚えていない人々(いわゆるブラックアウト)

 その他にもいろいろなアル中のイメージがありますが、これらのイメ ージは全て酔い方の異常であったり、酩酊後の問題行動であったり、 また飲酒生活の果てにいろいろなものを失ってしまった人生の落伍者 の姿であったりするわけです。
しかし、これらのイメージはアルコール症のごく一部分しか伝 えていません。これらのものはアルコール症の本質でなくて、ア ルコール症になった人々のごく一部の人々がたどる結果にすぎな いのです。このようなアル中のイメージこそが、多くのアルコー ル症者に正しい治療を受けるきっかけを失わせていると言っても よいでしょう。
 アルコール症の人々は、よく次のようなことを言って治療から 脱落していきます。
自分は、飲んでも暴力をふるったり、暴言をはいたことはない。 自分は、飲んでも仕事はちゃんとやってるし、家庭もある。 仕事も家庭も失って、昼間から酒を飲んでひっくり返っているアル 中とは違う。
 幻覚や妄想状態になったことはない。 このようにして多くの人々が、自己のアルコール症を認めないま まに、また病的な飲酒習慣にかえっていきます。すなわち、このア ル中のイメージは、酒にとらわれている自己の姿を否定する材料に いつも利用されているわけです。たとえ、いわゆるアル中のイメー ジどおりの問題行動をしている人々でも、あれはたまたま飲み過ぎ てあんなことをしてしまったわけだ。あれは特別のことで、いつも あんなことをしているわけではない、とばかりに問題行動からは、 なかなかアルコール症の治療には入れません。
 ここで少し目先を変えて、飲み方の異常という面からアルコール 症について考えてみましょう。  アルコール症の本質は、身体も心もアルコールに依存してしまっ ている事実にあります。自らの力では飲酒をコントロールできない 状態になり、酒が切れてくると意志力では抑えきれない飲酒欲求が おこり、つい酒に手がでてしまうのがこの病気の特徴です。
 あるいは、しばらく断酒を続けていても嫌な場面に出くわしたり、 その他のストレスなどに際して再飲酒が始まると、たちまち以前と 同じように病的な飲酒パターンを繰り返してしまうのも特徴的です。
 アルコール症の周囲の人々、特に家族が本人の飲酒量をコントロー ルしようとしたり禁酒を強制したりすると、一般の人々とは違った飲 み方がはっきりと現れてきます。いくら家族が本人に酒を飲ませまい といろいろな手段と使っても全く無駄です。アルコールにとらわれて しまっている本人は、どんな手段を使ってでも必ず酒を手に入れて飲 んでしまうからです。
 なぜ、そこまでしてアルコール症者は酒を飲もうとするのでしょう か。アルコール症の人々の身体からアルコール分が抜けていくと、様 々な症状が出現します。酒が切れてくると眠れない、よく夢をみて眠 りが浅い、寝汗をかく、イライラしてしかたがない、理由もないのに 怒りっぽくなる、食欲がない、吐き気がする、手が震える、などのよ うな症状が出現して苦しんだ時に酒を飲むと、それらの症状が楽にな ります。彼らは、そのことを体験的に知っているわけです。その時に、 彼らはアルコールを探し求める様々な努力、工夫を行います。
 以下に、その実例を見てみましょう。
(T氏) 家族がいくら止めても飲んでしまうので、家に酒を置かないようにしてしまった。
     それでも外へ飲みに出ていってしまう。
     最後には一銭のお金ももたせてくれなくなった。そこで妻のサイフから小銭を抜いては飲み
     に行く。そんな繰り返しの中で、妻はサイフを隠してしまうようになった。子供の貯金箱が
     学習机の中に入っているので、そこからも小銭を抜くからしまいには子供が机の引き出しの
     鍵をかけるようになった。また、夜中に酒が切れて目が覚めてしまったときは、朝の5時に
     なるのが待ち遠しかった。5時前になるとこっそり家を抜け出して、自動販売機までワンカ
     ップを買いに行くこともあった。
(K氏) 家では妻の目があるので、外で買ったワンカップをこっそり家の中に持ち込んでおく。よく
     額縁のうしろに隠しておいたり、押入れにウイスキーのポケット瓶を隠しておいて、酒が切
     れたらこっそりと飲んでいた。
(S氏) 僕の場合でも、晩酌二合にしようと決心したけれど、やはり足りない。妻はそれ以上の酒は
     絶対だしてくれないので、しかたなしに用事があるといっては外に出ていき、自動販売機      
     1,000円札で買おうとしたが、何回札を入れても戻ってくる。そこで入りたくもない風呂
     屋に入って、おつりでワンカップを買って飲んだりしていた。
(A氏) わたしの場合は女だから夜歩きは怖かったが、酒が切れてくるとそんなことをいっていられ
     ません。そこで犬を連れて走って自動販売機まで行った。11時になると自動販売機が終わる
     ので、あせって全力で走ってやっとワンカップを何本か買って、1本はその場で一気に飲
     んだ。朝になって犬がいないのでびっくりして探しに行ったところ、昨日の自販機の所に繋
     がれていた。
(S氏) 仕事中はがまんしていたが、5時の定時がくると会社を飛び出す。帰りの売店でワンカップ
     5本程買ってまず1本飲んで、残りを服の中に隠して家に帰る。しかし家に入ると子供が
     ボディチェックをするもの だからよくばれた。朝になったら早くから散歩にいくといって、
     家内に「まだ暗いよ」と言われても出て行った。自動販売機買いに行っていたんです ね。
(H氏) わたしの場合も、早朝から犬の散歩だと言って毎日のように酒を買いに行っていた。最近は
     酒を止めているから犬の散歩も行かなくなった。この前久しぶりに散歩に連れて行ってやっ
     たら、いつも酒を買っていた自動販売機の前で犬が座り込んだのでびっくしした。
     また、飲んでいたころは自動販売機の開くまで悶々として待ったものです。
(N氏) 自分の場合は、一人者だからかくれ飲みはしなかったが、何とか節酒しようとして一升瓶を
     お買うのを止めました。しかし、一日に何度も酒屋に行ってワンカップを買ってきては
     飲み、2~3時間して切れた らまた買いに行く。こんなことなら一升瓶買っておいた方が
     手間も省けるし安いのに、やはり節酒したいから同じことを繰り返していました。
(M氏) 自分はかくれ飲みしたことはないが、嫌がる家族に暴言や暴力でもって無理に酒を持ってこ
     させたり、明日から止めるから今日だけは飲ませてくれと言ったりして結局は飲んでしまし
      た。
(H氏) 飲みながら、明日からは止めようと決心はするのです。止めなければならない理由をあれ
     これと考えましてね。しかし、その明日になるとどうしても飲みたくなる。やはり身体が
     要求するのでしょう。そこで、昨日いろいろ考えて飲んではいけない理由を自分なりに考え
     直して、明日から止めればよいという言い訳を作り出して結局今日は飲んでいました。
     そんなことが毎日続いていたわけです。
(K氏) わたしもそうだった。酒の害を深刻に考え反省して、飲んではいけない理由を飲みながら
     数えていました。そして、明日からこそ禁酒しようとするのですが、その明日になると酒が
     切れて飲みたくて身体がいうことをきかない。そこで、昨日考えだした飲んではいけない
     理由を心の中でひっくり返すわけですね。たとえば酒はみんなが飲んでいるからとか、一杯
     だけならいいだろうとか、明日からあるいは来週から止めればいいとか、その他いろいろな
     言い訳を自分自身にしながら、結局毎日飲んでいました。
(E氏) 今から考えると、わたしはかなり以前からアルコール症だった。とにかく身体に酒が入っ
     ていないとどうしようもなかったのです。仕事中でも、会社の倉庫の中にポケットウイス
     キーを隠しておいて「ちょっと倉庫の整理に行ってきます」などと言って、数時間おきに
     飲みに行っていました。酒の臭いをごまかすためニンニクをかじって、職場の人達には「昨
     日はギョウザを食べすぎた」などといって、ごまかしていました。

 以上のような飲み方は、決して正常の飲酒だとは言えません。 アルコール症の正体は、このような飲み方の異常にあるわけです。心も 身体もアルコールに依存してしまい、止めなければならない、あるいは 節酒しなければならないと思っていても、実際の行動は病的な飲み方に なってしまいます。中には周囲の人々に節酒や禁酒を何度も約束しなが らも、その約束を破るということを繰り返している人もいます。これで はさら信用を落としても仕方がないでしょう。
 飲んだ後の酩酊に様式、たとえばブラックアウトになるとか、暴力を振 るうような酒乱になるとか酔って寝てしまうとかはアルコール症になっ ているかどうかの基準にはなりません。
 また、飲酒生活を続けた結果失ったもの、たとえば家族や仕事を失うと いう社会的な喪失の程度も、あまりアルコール症の指標にはならないの です。
 なぜなら、我慢強い家族や職場であれば本人のアルコールの問題があっ たとしてもカバーしてしまい、問題が表面化しないことが実に多いから です。だから家庭や仕事があるからといって、自分はアルコール症では ないとは言い切れないのです。
 次に、自分はしばらく禁酒した期間がある。酒などいつでも切ること ができる。だから大丈夫です。などと言う人も多いのですが、そのよう に言う人も酒を止め続けることはできなかったはずです。
 また、アルコール依存にまだなっていない人人ならば、「酒を切る」など という表現は使わないはずです。
 台所を預かる主婦にとって、米や味噌はなくてはならない存在です。だか ら、米や味噌がなくなると「お米が切れた」「味噌を切らしている」とい う表現を使います。つまり、なくてはならない物がなくなった場合に「・・・ ・・・が切れた」、という表現を使うわけです。そして、何とか補充しようとす るでしょう。同じように酒を切るという表現を使うのは、その人にとって酒 がなくてはならない存在になってしまっている証拠と言ってよいでしょう。 ですから、身体から酒気が抜けると、つまり酒が切れると、何としてでも酒 を手に入れようと努力するのです。このような人をアルコール依存と言うわ けです。
 また、酒を止めた期間があるから問題ない、という表現もやはりおかしいわ けです。 
アルコールに全く問題のない一般の飲酒者は、あえてしばらくの期間、禁 酒する必要もありません。そんなことをしなくても、ごく普通に節酒ができ ているのです。アルコール依存に陥って、いろいろな問題を自覚しているか らこそ、しばらく酒を止めるのではないでしょうか。しかし、いつかは以前 と同じような異常な飲み方にもどってしまうのです。
 最後に、自分の飲み方をもう一度思い出し、そしてその飲み方が果たして 正常であったかどうかを考え直してみることが必要であり、自分の飲み方の 異常を自覚して、初めて正しいアルコール症の治療が開始できるのです。
 アルコール依存が形成されると、アルコール乱用のため身体的、心理的、 社会的に障害が生じてきます。これらの障害をひっくるめてアルコール症と 呼ぶことにしましょう。


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