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アルコール症テキスト アルコール依存症の治療を障害するもの

 アルコール症の障害の一つに、アルコール関連社会障害があり ます。
しかし、患者さん本人やその家族にアルコールに関係した社会 障害がありますかと質問しても、殆どの人が飲酒の上で社会に迷 惑をかけたことはなかったと返答するものです。
 この返答に誤りはありません。なぜなら、彼らが社会障害とい う言葉と聞いて頭に浮かべたイメージは次のようなものだからで す。
 自分は酔って通行人にからんだり、喧嘩などしたことはなかっ た。
 飲酒の上で警察沙汰になったこともなかった。あるいは酔っ払っ て醜態を見せたことはなかった。
つまり、彼らは社会と聞いた時にすぐ一般社会を思い浮かべ、この 一般社会に対しては飲んで迷惑をかけたことがなかったと考え、ア ルコール関連の社会障害はない、と返答しているわけです。
 もちろん、前述したような一般社会に対する飲酒の上での迷惑も、 アルコール関連社会障害の一つであることは言うまでもありません。  しかし、これだけが社会障害と言えるでしょうか。
 ここで、もう一度人間社会というものを考えてみましょう。  社会というものは人間の集団から成り立っています。しかし、我 々一人ひとりは全ての人間集団に所属しているわけではありません。 自分に関係している人々の集まりこそが、本当に大切な我々の社会 のはずです。
 たとえば、すぐ身近ににる家族、親や兄弟、その他の親戚、近所の 人々、職場関係の人々、また若干の交友関係にある人々、このような 人間の集団こそが、我々には最も大切な社会のはずです。  この大切な小さな社会を創っている人々に対して、アルコールの問 題で迷惑をかけていないでしょうか。
 すなわち、これらの大切な人間関係が、アルコール症をいう病気の ために障害されてきたわけです。  家族に少しは迷惑をかけたかもしれないが、外では迷惑をかけたこ とはない。
 このように言う人は、少し考えてみてください。 外部の人々よりも家族の方がもっと重要な人々のはずです。 では、このような本来、大切なはずの人間関係がアルコールのために どのように障害されてきたかを、これから考えてみましょう。
 人間関係の障害
アルコール症者は、よく周囲の人々から意志の弱いだめな人間として非 難されたり、説教されます。非難や説教の背景には必ず一般的な常識や、 人間としての価値基準があり、それに反した行動をとる人々に対して非 難や説教が集中するのです。
一般的の人々にとって、アルコールはそれほど価値の高いものではあり ません。人間にとって価値の高いものの順位をつけるのは個人差もあり、 本来無理なことですが、アルコールと比較してその他の順位は、どのよ うになっているかを考えるために、一度便宜的に考えてみましょう。
それでは一般の社会人にとって大切なものを価値の高い順に並べてみます。 まず、自分自身の健康や命、これは誰にとっても最も大切なものでしょう。 次に、家庭を持っている人々にとって自分の家庭も大切なはずです。家庭 の平和というものは人間の価値基準からすれば、かなり上位に位置づけさ れるはずです。
 さらに、社会人であれば従事している職業も大切なものに違いありません。 自分の命や健康、家庭の平和、職業といったものに順位はつけられませんが、 一般の価値観から考えてみると、その他のものよりは上位に位置しているで しょう。そして、これらの下位に若干の交友関係とか、趣味などといったそ の他のいろいろな大切なものがあるわけです。  そして、飲酒の楽しみというのも、それらの下位のものの中に入っている はずです。少なくとも、アルコールは命や健康、家庭の平和、職業よりも価 値が高いはずがありません
。  これが世間一般の常識なのです。 ところがアルコール症が進行していくと、その人にとって酒の価値は段々 と上がっていき、最後には、全てのものの一番上に位置してしまいます。
 この事実に、飲んでいるアルコール症者は気付きません。しかい、一つず つその他のものと順位を比較すると、いつの間にかその人にとって酒が全て に優先していることに思い当たるでしょう。
 まず、命や健康と酒とを比べてみましょう。 アルコール症者のように長期間、大量の飲酒を続けていると、当然、身体 のどこかに故障がおこってきます。肝臓病や胃腸病、糖尿病など、さまざま な病気になる確率が高いわけです。そして、一般の病院で治療を受けるので すが、残念ながら医師の忠告は守れません。
 酒は身体に悪いから控えて下さい。あるいは止めてください。アルコール 症者は、このような意志の注意を守り続けることはできなかったはずです。 通院して点滴注射などの治療を受けながら、その間の日は飲んでいたり、せ っかく身体と治してもらっても、しばらくするとまた飲みだし、再度病気に なって再入院を繰り返します。もっとひどい人は入院中にさえ隠れて飲んで います。この事実だけを見ると、どうやらアルコール症者にとって酒は自分 の命や健康よりも上に位置しているようです。
 次に、家庭の平和と酒を比較しても同じことが言えます。
妻がいくら酒を控えるよう頼んでも、ついに飲まさないように酒を隠してし まっても、やはり飲んでいたはずです。また、子供達がいくら悲しい思いをし ても、酒を止めることはできなかったのです。
 アルコール症者は、このように家庭に波風が立っても自らの飲酒をコントロ ールすることも、止め続けることもできなくなっています。
 即ち、アルコール症者にとって酒は自分の家庭の平和よりも、上位になって しまっているわけです。
 最後に、自分の職業と酒とを比べても同じことに気付くでしょう。
飲酒に基づく生活の乱れのために、仕事の能率が下がっていたり、ミスが増 えていたり、あるいは遅刻や欠勤などの職場の信用を落とすような問題行動が 段々と目立ってきます。そして、自らを反省したり、職場から注意をされたり しても、結局は酒を止めることはできないのです。しばらく禁酒ができても、 最後にはやはり酒に手を出し同じような問題行動を続けてしまいます。このよ うな事実だけから見ても、アルコール症者にとって、酒は自らの職業よりも上 にきてしまっているのです。
 一般の人々にとって大切な自分の命や健康、自分の家庭の平和、自分の仕事 よりも、アルコール症者の酒は上位に位置しています。飲んでいる本人はこの ことに気づきませんが、前述のように客観的に事実だけを見ていくと、アルコ ール症者にとって酒は全てに優先していると言わざると得ません。  その他の趣味だとか、いろいろなものと比較しても、酒が上にあることは言 うまでもありません。
 よく、「わたしから酒をとってしまったら、何も残らない」と言うアルコール 症者がいますが、この言葉こそ酒がその他の全てのものに優先している証拠で はないでしょうか。
 この一般常識にはすれた事実が周囲の人々の怒りを買い、それが非難や説教 となってアルコール症者に集中するわけです。
 ここで何が起こっているかと言うと、人間関係の中身の崩壊です。 一般科の医師は次のように思っています。
 他の患者さん達は、酒をやめるようにまたは控えるように注意するとちゃん と聞き入れるのに、この人はいくら親切に忠告しても厳しく注意しても結局飲 んでしまう。酒よりも自分の体の方が大切なのは誰にでもわかる理屈なのに、 この人にはそれができない。
 この人は自分の健康さえ守れない。酒にだらしのないだめな人間だ。
ここでは、医師と患者との信頼関係は全くありません。そこで強制退院にな ったり、形だけは診察や投薬されても既に医師と患者の信頼関係は崩壊してし まっています。
 家庭内にあっても同じことです。
アルコール症者の妻や子供達は、他の家庭と比べて次のように思っているで しょう。
 よその主人は(子供達にとっては父)酒を飲んでもうちの主人(父)のよう なことはない。仕事にさしつかえたり、家庭に波風がたったり、身体をこわす ような飲み方はしない。世間一般の人はみんなそうなのに、なぜうちの主人 (父)はそれができないのだろう。酒さえ控えれば、あるいは酒をやめさえす れば、全ては解決するのに、いくら言ってもやはり飲み続けている。この人は 自分の家庭さえ守れない意志の弱いだめな人間だ。
 こうしてアルコール症者は、一家の主人としてまた父としての信頼を失って いきます。形だけは夫婦であったり、親子であったりしますが、その内容は失 われていき家庭内での相互の情愛とか信頼関係は崩壊していきます。
 職場内においても、全く同じようなことが起こってきます。
飲酒のための遅刻や欠勤などの怠業、仕事の能率の定価、その他のミスなど が度重なってくると、職場の人々との信頼関係はなくなってしまいます。職場 というものは大人の世界ですから、説教や非難などは直接、本人に聞こえない ものですが、おそらく職場の人々は心の中で、次のように思っているに違いあ りません。
 自分も酒は飲むが、決して仕事にさしつかえるような飲み方はしない。
それなのにあの人は酒の飲み過ぎで仕事にさしつかえている。酒さえ控えるか 止めればいいのに、いつまでも飲み続けている。あの人は頼りにならない人だ。 酒にだらしのない意志の弱い人だ。
 このようにしてアルコール症者は、職場内でも信頼を失ってしまいます。
仕事中、飲酒のための直接のミスがなかったとしても、何度も欠勤を重ねた り、また、欠勤がなくても、年中行事のようにしてアルコールの過飲のため身 体を悪くして内科の病院への入院がくり返されたりすると、やはり職場での信 頼もなくなってしまいます。
 アルコール症者は、このように日常生活の中で接触する全ての人々、つまり 人間にとって一番大切な人々の間で、意志の弱いだめな人間として決めつけら れ孤立していきます。
 誰からも信頼されないということは、人間にとって耐えられない状況でしょ う。その孤独感や受け入れてくれない周囲の人々に対する不平や不満が、さら にアルコールにのめりこむ原因となり、アルコール症に拍車がかかるわけです。  このようにしてアルコール症が進行するのに比例して、その人の人間関係の 内容は失われていきます。よく、自分にはまだ仕事も家庭もあるからアルコー ルの問題はない、と考えているアルコール症者がいますが、その仕事や家庭が 残っていたとしても肝腎の中身がなくなっていることが多いわけです。
 このように形だけの職場、形だけの夫婦、形だけの親子、形だけの交友関係 になっていくのがこの病気の特徴です。
 こうして人間関係の中身が崩壊して形だけのもとなり、最後には何かのきっ かけで、その形さえも失うこともあります。
 よく、ちょっと夫婦喧嘩しただけで離婚されてしまったと言うアルコール症 者がいますが、その夫婦喧嘩が離婚の原因ではないはずです。それ以前に、長 年の間に積み重なってきた不信感や夫婦の関係の崩壊があったはずです。
同じように、不況だから自分は人員整理の対象にされ仕事を辞めさせられた と考えている人も、不況そのものが解雇の本当の原因ではないはずです。いく ら不況だといっても全員を解雇することはないでしょう。なぜその人が人員整 理の対象になったか考えると、やはりその背景には長年にわたる職場内での信 用の崩壊があったはずです。
 このように人間関係の内容がまず失われていき、最後には形さえも失ってし まうのです。しかし、飲酒を続けているアルコール症者はこの事実に気付きま せん。逆に離婚された、解雇されたこと直接の原因かのようにして、さらにア ルコールを求めるようになってしまいます。
 また、アルコール症が進行するなかで、家庭内や職場内でのいろいろなさ酒 に関連する問題が表面化してくると、アルコール症者本人が自らを反省し、周 囲に禁酒や節酒を宣言することもありますが、その宣言も再飲酒によって必ず 破られてしまいます。
 逆に、周囲の人々が酒を止めさせようとしてアルコール症者を責め、禁酒の 約束を無理にさせる場合もあります。
 今度飲んだら離婚、あるいは別居と家族はアルコール症者に迫ります。今度 飲んで問題を起こせば解雇、と職場の人もアルコール症者に圧力をかけること さえあります。
 このような周囲からの非難や説教などの圧力の中で、アルコール症者は節酒 や禁酒を約束するのですが、その約束は長く続きません。最後にはやはり同じ ような飲み方に返ってしまうのです。
 こうしてアルコール症者は約束を守れない、意志の弱いだめな人間として周 囲の人々の信用をさらに落としてしまいます。
 次に、アルコール症者は長年の飲酒生活の中で、生活者としての能力を失っ ていきます。アルコール関連生活障害についての詳しい説明は他章にゆずりま すが、肝腎な場面で飲んでしまうのがアルコール症者の特徴だということに少 し触れてみたいと思います。
一般の人は普段、酒を飲んでいても危機に際しては飲酒を止め、その危機場 面を乗り越えようとするものです。しかし、アルコール症者の場合は全く逆の こともあります。
 アルコール症者の場合、自らの飲酒を反省し断酒生活を続けていても、いろ いろな危機に直面した時に再飲酒することが多いのです。このように肝腎な時 に飲んでしまう人に対して非難が集まり、さらにその評価を下げてしまいます。  私の夫は、いつも肝腎な時に飲んで逃げてしまう。あの人は頼りにならい人 です。このように決めつけているアルコール症者の妻が、夫の役割を認めなく なるのは当然のことでしょう。このようにしてアルコール症者は、肝腎な時に 役に立たない人として、その役割を失ってしまうことが多いわけです。
 以上述べてきたように、アルコール症者は自分にとって最も大切な人々の間 でますます孤立してしまい、誰からも受け入れられない状況になってしまいま す。このような人間関係の崩壊が進行するにつれ、アルコール症者はますます アルコールに傾斜していきアルコールへの依存をさらに高めます。そして、そ の飲酒行動がまた人間関係の崩壊を促進させるといった悪循環を形成すること になるのです。このような悪循環が形成されると、アルコール症者の中で原因 と結果の逆転が起こっていることがあります。
 本来は、飲酒生活の結果として人間関係が障害されるのですが、逆に家族が 信頼しないから飲んでしまうとか、職場で受け入れられないから飲んでしまう、 と考えているアルコール症者が多いのです。アルコール症者の人間関係の障害 を考察する時、自らの飲酒生活がどのようにして、自分にとって大切な人々と の関係を崩壊させていったのかを整理してみる必要があります。
そのためにも常に体験談を語り続けることが大切なわけです。  


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