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アルコール症テキスト アルコール依存症の治療を障害するもの

 この章で考察したい心の障害とは、アルコール離脱期に出現す る幻覚・妄想状態などの精神症状のことではありません。人間の 心の中には、プラスの感情とマイナスの感情が常に同居しています。 プラスの感情とは、信頼されている喜びとか、他人に理解される喜 びとか、幸福感や心の安定につながる種類のものです。  それに反してマイナスの感情とは、主に自分のことが周囲に受け 入れられない時に生じる不平・不満や嫉妬心、また、受け入れない 周囲の人々や状況に対する攻撃や他罰的な感情など、不幸感や心の 不安定につながる種類のものです。
 このようなマイナスの感情に支配されてしまった状態を、心の障 害とよびましょう。
 アルコール症が進行するにつれて、別の章で考察したようにアル コール症者の人間関係はだんだん崩壊して、周囲の人々との信頼関 係は失われてしまいます。つまり、アルコール症者は誰からも受け 入れられない状態になってしまうのです。
 この、誰からも受け入れられない状況ほど、人の心を深く傷つけ るものはありません
 人間は、様々な欲求をもった存在です。
たとえば、食欲・物欲・性欲などを持っているわけですが、これ らの欲求はある程度満たされないと人間はうまく機能しなくなって しまいます。
 食欲が満たされないと餓死の恐れがありますし、性欲が満たされないと子孫 を残すことができません。しかし、これらの欲求は年齢と共に変化しますし、 理性によるある程度の抑制も可能です。
 しかし、人間の欲求で一番強く、最後までなくならないものもあります。 それは、自分の事を理解されたい、あるいは周囲に受け入れてもらいたい、と いった種類の欲求です。
 この欲求がある程度満たされない場合、その人間の心の中はマイナスの感情 で埋もれてしまい、常に不全感や不幸感にさいなまれ続けなければならないの です。
 一般の人々は、この欲求をどこかで満たしています。個人個人の価値観は多 様ですし一概には言えませんが、ごく一般の価値基準から眺めてみると、ある 人は家庭や職場やその他、親戚を含めた交友関係の中で全て満たされているこ ともあります。またある人は、家庭では受け入れられなくても職場や他の交友 関係で満たされていることもありますし、その逆の場合もあります。たとえ、 このような一般的な価値基準からはずれていても、創作やその他の価値がある と信じている活動を通して、自分自身に満足できるようななる種の受け入れに 深い喜びを感じる人々もいます。
 しかし、アルコール症者は他章で述べてきたように、この大切な自分のこと を理解され受け入れられたいという欲求は、周囲の誰からも、またどんな状況 からも満たされてはいません。
 この満たされないことに対する悲しみや怒りの中で、アルコール症者の心は 障害を受け続けているのです。
 アルコール症者にとって、飲酒時代に本当に苦しかったのは二日酔いの辛さ でもなくまして身体の不調感でもなく、まさにこのような受け入れられない悲 惨な状況にあったはずです。
 実際、アルコール症者の進行と共にこの受け入れられない状態はさらにひど くなり、アルコール症者の心はバランスを崩してゆきます。
しばらく断酒を実行されたアルコール症者の中に、酒を止めてから家庭内の 雰囲気が明るくなった、家族や親兄弟が話しかけてくれた、と大変喜んでいる 人々がいます。つまり、この人は受け入れられたことに大きな喜びを感じてい るのです。
 この実例こそ、長い飲酒時代に本当は周囲から受け入れられることを切実に 願っていた証拠ではないでしょうか。  また中には、わたしは人間嫌いであり人との交流など必要ない、と公言する アルコール症者もいます。しかし、この人が本当に他の人との交流を求めてい ないなら、なぜこのようなことをあえて言うのでしょうか。それは本当の願い ではないからです。
 本当は、他の人に受け入れられたいという欲求がもともとあり、それを求め ても求めてもうまくいかなかった歴史のなかで、あきらめ、ひらきなおった結 果、自分はもともと人間嫌いだと思い込もうとしていることが多いのです。
 多くのアルコール症者は、その言動とはうらはらに人間を求めているもので す。
 しかし、他章で考察したように種々の理由でアルコール症者の人間関係は崩 壊してゆき、人々との間の心の交流は断たれてしまいます。この中で。、アルコ ール症者の心は傷つき、さらにアルコールにのめりこむ結果となるのです。そ して、そのアルコールがさらに周囲の人々の受け入れを阻害するように働き、 なお一層アルコールを求めるといった悪循環が形成されてしまいます。
 以下に、アルコール症が進行していく長い年月の間に、アルコール症者の心 がどのように変化していくのかを考えてみましょう。

                【アルコール症者の心理変化】
 一つの例として、普通に飲酒できていた一人の人間がアルコール症に進んで いく中で、そろそろ種々のアルコールによる問題が表面化してきた頃を考えて みましょう。
深酒のために、遅刻や欠勤が少しずつ目立ってくる。仕事の能率が落ちてく る、あるいは身体を壊す。家庭内で波風が立って来た。アルコール症の初期か らすでに、心の障害の準備はできてしまうものです。
 このように問題が表面化する原因は、当然飲み過ぎにあります。従ってその 解決策は節酒か禁酒です。これができれば、仕事にも家庭にも身体にも差しつ かえないということは、誰にでも理解できる唯一の解決策です。そこで、節酒 や禁酒を実行しようとするのですが、残念ながらこの人はすでにアルコール症 になっているため、節酒や禁酒は不可能なのです。たとえ、しばらく節酒や禁 酒を続けられても、最後は以前と同じような病的な飲み方に返ってしまいます。  このように、本当の解決をは逆の飲酒という行動を続けていれば、前に挙げ た種々の問題は解決するどころかますます大きくなっていきます。
 こうして周囲の目は厳しくなっていき、一般の人々のような適当な飲み方が できないアルコール症者に節酒や禁酒をさらに強く要求するようになります。アルコール症者自身も、自らの飲酒問題を反省したりして節酒や禁酒を実行 しようとします。しかし、それでも依存的な飲み方が変わりません。そして、 さらに問題は大きくなるといった悪循環がここでも形成されてしまいます。
 問題を起こしながらも酒を止められないアルコール症者に対して、周囲の人 々は意志の弱いだめな人間として非難や白眼視を集中させてゆきます。
 このような悪循環の中でアルコール症者は、一般の人々と同じような飲み方 ができない自分に対して、心のどこかで自責の念を抱いたり、後悔したり、不 安になったりしていくものです。
 この自分自身に対する情けない思いを解決するためにも、飲酒が原因で生じ てきている様々な問題を解決するためにも、正しい解決策は自ら節酒・禁酒し ていくことしかありません。
 しかし、この病気はその正しい解決方法を許しません。やはり、依存的な飲 酒生活しかできないのです。こうして問題はますます大きくなり、アルコール 症者本人の自責感や後悔の念はさらに深くなってしまいます。
 このようにアルコール症が進行する中で、  飲酒→問題の表面化→自責感・後悔→再飲酒→問題の拡大→自責感・後悔は さらに深くなる、といった堂々巡りが果てしなく続きます。
 アルコール症者はこの自責と後悔のなかで、ついにはうつ状態になる人も多 いのです。そして、自分を生きる資格のない人間と考え、自殺してしまった人 も多くいます。
 このように、飲酒を続けている限りアルコール症者には本当の解決方法は全 くないわけです。そして、ますますだらしのない自らを責めることになるので す。
 しかし、人間の心がもし、自分を責める方向にしか動かないとしたなら、全 部のアルコール症者が節酒や禁酒などの解決方法が取れなかったのですから、 その悪循環の中で自殺しか手がなかったはずです。しかし、人間には自分を守 るという本能があります。これが自己防衛と言われるものです。
それでは、この自己防衛の手段について触れてみましょう。
 アルコール症者は、このような苦しい状況の中で生きているわけです。そし て、長い年月が経過します。その間、この人は飲み続けていたわけです。
当然、様々な問題は解決するはずはなく、最終的には健康も信用も失ってゆき、 問題は山積みになってしまいます。そして、周囲の人々から意志の弱いだめな 人間と非難され、誰からも受け入れられない日々を過ごします。
 このような悲惨な状況の中で、アルコール症者は周囲の人々には全く理解の できない、本人だけのもう一つの解決方法を見つけてしまいます。

                  【もう一つの解決策】
いずれにせよ節酒も禁酒も続けられなかったのですから、アルコール症者は自 らの飲酒を正当化するようになってきます。
 自分は確かにさけを飲んでいるかもしれないが、もっとひどい人は多いはず だ。自分の酒はそれほど悪くない。
 こう思い込めば、自らの飲酒を正当化できます。
 しかし、自分の酒が悪くなければ、いろいろな物事がうまくいかなくなり、 むしろ山積みになっているのはどうしてでしょう。
 この矛盾を何とか解決しなければなりません。そこで、彼らは心を変えてい くわけです。つまり、物事がうまくいかないのは自分の酒が悪いのではない、 周囲が悪いのだ、と考えれば彼らの中でこの矛盾は解決するわけです。
 このような、周囲が悪いという態度を他罰的な態度と言います。
アルコール症者はよく他罰的だといわれますが、節酒・禁酒という本当の解 決が不可能な以上、自分を守るためには仕方のないことだったのです。
彼らがどういう具合に自分を守るか、次に実例を挙げてみましょう。
 職場で人間関係がうまくいかないのは、あるいは出世できないのは、自分の 酒が悪いわけではない。確かに、時々遅刻や欠勤をしたかもしれないが、自分 は実績も上げてきたしまだまだ能力もあるのに、それを認めない職場の上司が 悪い。
 夫婦の間がうまくいかなくなったのは、自分の酒が原因ではない。働いて家 計を支えてきたのに、そのことを感謝もしなければ口うるさく罵るだけで自分 の苦しみを理解しない妻が悪い。
 子供との間がうまくいかないのは、自分の酒が悪いのではない。 せっかく苦労して育ててやったのに、少しも感謝せず親を親とも思わない態度 をとる子供が悪い。
 このように、アルコール症者は、うまくいかないのは周囲が悪い、という態 度で自らの飲酒問題を否認しているわけです。中には、物事が全てうまくいか ないことに対して、こんな世の中が悪いとさえ言い放つアルコール症者さえも 時々見かけます。
 実際、アルコールの問題で職場を追われてもアルコール症者は自らの否を認 めないものです。
 あんな職場はとこちらから辞めてやったのだ。  これが彼らの言い分です。同じように離婚されても他人との交友関係を断た れても、彼らは自らの否を認めません。
 あんな家内はこちらから別れてやった。
こうしてアルコール症者は、自分の飲酒問題を否認してしまいます。
 アルコール症者の家族は、よく医療者に次のような疑問を投げかけます。
 私の主人は、酒のために人間関係も全て失っています。仕事も長く続きませ ん。体もガタガタになってしまいます。それなのに、なぜ自分の酒が悪いと思 わないのでしょうか。うちの主人は、どこかおかしくなっているのではないで しょうか。
このような疑問は当然です。しかし、話は全く逆なのです。
 人間関係の内容も全て崩壊し、自分を信頼する人はどこにも存在しない。仕 事もうまくいかない。身体も壊している。
 このような悲惨な状況に直面できる人間は少ないでしょう。自分の責任でこ のような悲惨な状況になったことを認めることは、誰にとっても苦しい作業で す。そこで彼らは他罰的な態度で責任を他に転嫁し、自らを守っているわけで す。彼らはいつの間にか他罰的な態度を身に付けてしまっているのです。
 こうして長い年月をかけて、自責感を他罰的な態度に変えていくことによっ て、アルコール症者は自分を追い詰めていって自殺にまで至る最悪の事態を何 とか回避しているわけです。
 それでは、アルコール症者の心が、自責感(自分を責める)からどのように 他罰的(周囲を責める)といった180度の変化を遂げるのかを、別の角度から 考えてみましょう。
 この不思議な心の変化を解く鍵は、いわゆるアルコール症者がよく使う言い 訳にあります。

                  【二つの言い訳について】
 人間は大なり小なり他人の目を意識する存在です。他者に受け入れられたい という抜きがたい欲求がある以上、他人の評価、つまり他人の目を心のどこか で意識するのは当然のことでしょう。
 そこで具合の悪い出来事が起こると、それを他人の目からそらすために、人 間はよく言い訳をするのです。逆に、人間が他人の目を全く意識していない存 在であるなら、何も言い訳をする必要はないわけです。
 アルコール症者は、飲酒生活の中で様々な問題を起こしています。そして、 その中で先に述べたように、自分が悪いと思う心がつのるのですが、その反面、 やはり他人の目が気になり問題行動をごまかすためによく言い訳をするのです。 この言い訳の多さが、アルコール症者の信用をさらに落としてしまい、周 囲はアルコール症者を白眼視するようになります。そこでアルコール症者はさ らに言い訳を重ね、何とか他人の目をごまかそうとするのですが、周囲はいつ までも騙されてはいません。こうしてアルコール症者は周囲の人々の間で、信 用をさらに失っていきます。
 言い訳には、二種類あります。
 第一のそれは、周囲の人々をごまかしてその場を取り繕うためのものであり、 第二のそれは、自分自身を納得させるためにおこなう自分に向かってのごまか しです。
 アルコール症者は、常にこの二種類の言い訳を同時に行っています。  以下にその実例を挙げてみましょう。
 一つの例として、前夜の深酒のために翌日にどうしても職場に出られない場 面を考えてみてください。
 このような時に、最初から無断欠勤はできないものです。そこで職場に電話 でもして、風邪をひいたからあるいは急用ができたから休ませてください、と いう言い訳をしたとします。これが第一の言い訳です。しかし、実際は風邪を ひいたわけでもなく急用ができたわけでもないのは、本人が一番よく知ってい ます。そして、やはり職場の目を気にして後ろめたい思いが心のどこかに存在 するのでしょう。
 ここで第二の言い訳がおこなわれます。この時、アルコール症者は心の中で 次のように思っているでしょう。
 自分は、普段は仕事も真面目にやっているし実績もある。仕事続きで疲れて いることだし、今日ぐらいは休んでもいいだろう。  このようにして、アルコール症者は自分に向って都合のよい言い訳をしてい ることが多いのです。これが第二の言い訳です。
 このような例だけでなく、飲酒が直接あるいは間接的に原因となり具合の悪 い状態に陥った時に、アルコール症者は外に向かっての言い訳をするのと同時 に、自らを納得させるために自分に向かっての言い訳をおこなっているのです。  子供や妻との約束が酒のために実行できなくても、自分は働いて家族を養っ ている。遊びに行こうという約束は確かにしたが、休みの日ぐらいは寝ていて も許されるだろう。
このようにして、アルコール症者は飲酒問題から目をそらし、自分に都合の よい言い訳を続けるのです。ところが、実際は約束は守られていないわけです から、周囲の評価は当然落ちてきます。
 こうして、アルコール症者は長年の飲酒生活のなかで、外に向かって言い訳 をするたびに周囲の信用を失い、それと同時に自分を納得させるための都合の よい理屈を考え続け、自分自身に対する現実とは逆のイメージを創り出してし まいます。
 アルコール症者のなかには非常に理屈の多い人がいますが、これも以上のよ うに長年自分をごまかし守るための言い訳を心の中で常々おこなってきた証拠 ではないでしょうか。この人は、自分のアルコール問題という否を認めず、自 分に都合のよい理屈にならない理屈を言うものですから、さらに周囲の人々に 嫌われるという悪循環に陥っていることに気付きません。
 こうして、自分に対して都合のよい言い訳を長年にわたって続けているうち に、アルコール症者の心の中には自分はこういう人間なのだというイメージが できあがります。しかし、元々このイメージは現実の問題を否定することから 出発してきたものですから、現実の姿とは正反対のものになっていることが多 いわけです。しかし、アルコール症の進行と共に飲酒問題はさらに深刻になり、 周囲の人々はその深刻な現実を見てアルコール症者に避難や説教を集中させて いきます。
 ところが、周囲の人々が非難する現実は、すでにアルコール症者にとっては 現実でなくなっているわけです。
 自分は仕事もやってきたし、家族のことも大切に思っている。確かに飲み過 ぎて失敗したり、約束を守れなかったこともあったかもしれない。それにして も、周囲は自分には冷たすぎるのではないか。自分は周囲の人々から誤解を受 けやすい人間なのだ。
 アルコール症者は、心の中でこのように思うようになってしまいます。  この誤解されやすい自分というものを少し進めれば、すぐに自分を理解しな い周囲が悪い、という他罰的な態度に到達してしまうでしょう。
 こうして、アルコール症の初期の頃、自分が悪いと考えていたアルコール症 者も長年にわたる二種類の言い訳を続けた結果、周囲が悪いという考えに支配 されてしまうわけです。
こうなれば、自分の飲酒行動も正当化できます。  いろいろな問題があるのは自分の酒が悪いのではなく、自分を受け入れない 周囲の人々や状況が悪い。と思えば、アルコール症者は飲みながらでも一応問 題を解決できるからです。
 以上のように、アルコール症者の中で起こる心理変化が、心の障害と呼ばれ るものの正体です。
 次章では、アルコール症者が創りあげた自己のイメージと現実の姿との関係 についても、もう少し深く考察してみましょう。


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