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アルコール症テキスト アルコール依存症の治療を障害するもの

                 「静かなアルコール症」
 この章では、アルコールに関連した社会に対する悪影響について考えていきたいと思います。
飲酒の上での暴力や暴力による家庭の崩壊。酩酊の上での近隣地域社会に対する迷惑。刃傷沙汰などによる警察問題。あるいは、職場内外での酩酊しての直接的な種々のトラブルなど、直接、飲酒・酩酊が原因での社会障害については誰の目から見ても明らかです。
 ですから、問題行動を起こすアルコール症者に対して、周囲の目から見てこのような酒害についてはその問題視は比較的簡単であり、酒害をまきちらすアルコール症者にとっても自分の飲酒のあり様を自覚しやすいものです。だから、このようなアルコール症者はかえって早期に専門治療に結び付くことが多いわけです。ところが、飲酒しても暴言や暴力もなく飲めば寝てしまうアルコール症者、いわゆる寝型タイプのアルコール症者の人々は自己のアルコール問題に気付きにくく、治療につながるのも遅れるので、アルコールに関連する諸問題が酒乱タイプのアルコール症よりいつのまにか、かえって深刻になってしまっていることが多いのです。  アルコール症者全体の割合から考えると、大部分がこの寝型タイプのアルコール症であり、自他ともに病気に気付かないままに社会障害を進行させているのです。
 このような人々を静かなアルコール症と呼び、彼らの長年にわたる飲酒がどのように家庭や職場を中心とした社会に障害を与えているか、以下に考察してみましょう。

【はじめに】
 最近、アルコール症者の数は増加の一途をたどっています。現在においては、ワンカップ酒一本の値段は喫茶店でのコーヒー一杯分より安く、いつでも、またどこでも手に入るようになっています。最近、昼食時に食堂に入ってみて驚くことは、一昔前と違って、かなり多くの人々が食事と同時にビールなどを飲んでいる光景がごく当たり前になってきているということです。
 このように、昔と違ってアルコールが氾濫する世の中になってきたことに加えて、生活のテンポが速くなりストレスが生じやすい状況下において、アルコールは一番手軽なストレス解消法であるという事実もアルコール乱用に拍車をかけているのでしょう。
 現在では少し注意して街を歩いていますと、いくらでもアルコール症になっている人々、あるいはアルコール症予備軍に出会うことができます。それは、昔よりも酔っぱらって道端でひっくり返っている人々が増えたなどということではありません。
 ただ、静かに飲んでいる人々の群によく出会うということなのです。
たとえば、夕方に駅の売店に行ってみてください。そこでは、様々なアルコール飲料が売られています。そして実に多くの人々が、アルコールを静かに飲んでいるのです。  彼らは、駅の売店でアルコール飲料を買って飲んでいるわけですが、いったい何を求めて飲んでいるのでしょうか。その酒は、決して人間関係を円満にする目的で飲んでいるわけではないでしょう。また酒の味を楽しんでいるわけでもありません。
 彼らはアルコールそのものを求めて飲んでいるのです。
このように、アルコールそのものを求めて駅の売店で毎日のように飲んでいる人々の中に、いくらでもこれからアルコール症に陥っていく予備軍の人々、またアルコール症そのものの人々がいます。そしてその共通の特徴は、ほとんどの人々が静かに飲んでいるということなのです。
 旅行や長距離出張などの際に、弁当などといっしょに缶ビールを買って列車に乗り込む人がよくいます。これは別に問題飲酒者とは言えず、あたりまえの飲酒者でしょう。しかし、このような普通の飲酒者を相手の酒類販売でしたら、長距離列車の発着のホームにだけ酒類を販売すればいいはずです。しかし、現実はどうでしょうが。よく注意してみていますと、今では通勤駅のすべてで酒類を販売しているのです。そしてそれが売れるから、またほとんどの人々が静かに飲んで問題を起こさないから、販売が続けられているのでしょう。JRであろうが私鉄であろうが関係なく、すべての駅で酒類を販売してそれが成り立っている状況なわけです。ほとんどすべての駅で酒類が売られているということは、そこで酒を買って飲んでいる人の中に数多く含まれているアルコール症予備軍、アルコール症の人々があまり酔った上での問題を起こさず、静かに飲んでいるという状況があるのでしょう。その証拠に、現在でも飲酒の上での問題が予想される地域のある駅の構内においては、JR、私鉄共酒類の販売はしていません。
 前述した駅の売店での酒類販売の状況は、アルコールそのものを求めて、しかもの問題を起こさないで静かに飲酒している人々が、現在ではこれほどまでに増加しているという事実の一例にすぎません。
 このような人々に、あなたはアルコール症になる危険がありますよ、あるいはすでにアルコール症になっていますよ、と忠告すればどうでしょうか。おそらく彼らはキョトンとするぐらいで決してその忠告を受け入れないでしょう。なぜならば、世間一般にはアルコール症に対する抜きがたい次のようなイメージがあり、そのイメージ通りの人々をもってアルコール症だと考えているからです。
 それでは、一般の人々が考えるアルコール症のイメージとはどういうものでしょうか。
 以前からアルコール症者とその家族に対して、どのような人がアルコール症でしすかという質問をしてきました。そしてその返答を多い順に記しますと、次のようになります。
① 昼間から酔っぱらって道端で寝ている人
② 酔って大声を出したり、暴力をふるう人
③ 仕事もせずに一日中酒ばかり飲んでいる人
④ 酔って通行人にからむ人、警察に保護される人
⑤ 幻覚・妄想状態になって精神病院に入院している人
 酒を飲んで、人目もかまわずに道端に寝る。大声を出したり、暴力をふるう。酒びたりで仕事もしない。通行人にからむ。警察のやっかいになる。これらはすべて、社会的な規範からはずれた行動の異常です。このような行動の異常を伴う人々だけだアルコール症である、と一般の人々は考えているわけです。
 逆に言いますとこのような行動異常を伴わない酒の飲み方をする人は、アルコール症でないと考えているわけです。
 だから前述した通り、毎日駅のホームで酒を飲んでいる人々は、自分自身のことをアルコール症だとは決して考えてはいません。なぜならば仕事もやっているわけですし、他人や社会に迷惑をかけるような行動異常がないわけですから、アルコール症になっているとは考えもつかないのです。
 しかし彼らの中には、アルコール症の入口に立っているか、あるいはすでにアルコール症になってしまっている人がいるのです。そのうちにこのような人々も、アルコールに関する問題行動を起こすようになるでしょう。いや、すでに問題行動がある人が多いはずです。
 こうように最近では、静かなアルコール症者の数が急激に増加しているのです。

【静かな崩壊】
 静かに飲んでいる人の中にも、アルコール症はたくさんいます。しかし彼らは、自らをアルコール症としては認めてはいません。認めない理由の第一の点は、本当は身体が酒を要求しているからこそ毎日のように飲んでいるのですが、その点に気付かないところにあります。いつの間にか、酒に対して自由を失ってしまっている自分に気付いていないのです。この第一の理由は、アルコール症の正体に関連しており非常に大切なところですが、詳しい説明はここでは別の稿にゆずっておきます。
 静かに飲んでいるアルコール症者が自らをアルコール症者と認めようとしない第二の理由は、彼らがまさに静かに飲んでいるという事実にあるのです。
 しかし、いくら静かに飲んでいるからといってもアルコールに関連する様々な問題はあるはずです。その問題についてこれから考えていきましょう。

【目に見えない障害】
 一人の静かに飲んでいるアルコール症者について考えてみましょう。彼は、先程述べたような社会的・道徳的規範を越えるような飲酒問題行動を起こしていません。仕事も一応はやっていますし、経済的にも家族には苦労をかけていない人間だとします。しかし、彼の生活はアルコールにとらわれています。
 彼の生活を眺めていますと、仕事をしているか、飲んでいるか、眠っているかの3つのパターンしかありません。睡眠と仕事時間以外は、何かしながらでも常に身体に酒が入っています。このような生活が、何年も何年も続いてきたわけです。
 このような生活の中で、どのような変化が起こってきたのでしょうか。飲んでいる本人は、長年にわたって自分の飲酒生活のため何が起こってきたのか気付きにくいものです。そこで、家族や職場の人達など周囲の人々の目からその変化をとらえてみましょう。
 例えば、彼の妻の立場から少し考えてみましょう。結婚した最初から、妻はベテランの母親でもないはずです。家庭を持った時から、妻は夫にいろいろなことを相談したり共に考えたりしながら、夫婦協力して家庭を築きあげていきたかったことでしょう。しかし、夫は仕事に行っているか、飲んでいるか、寝ているかの毎日であり、相談する時間も機会もなかったとします。そんな生活が長年続くと、妻は夫のことを頼りにしなくなり、家庭の内外のことは全部妻自身で始末をつけるようになってしまいます。この夫は、ただ酒を静かに飲んでいるだけで別に暴力や暴言はないのですが、このような生活が長く続くと次第に家庭内において夫として、また父親としての役割を失っていくものです。実際、妻から働いて家にお金さえ入れてくれたら後はいくらでも静かに飲んでいてもよいと、口に出して言われた人もいるくらいです。
 子供達も成長してきて、当然妻側の立場に立つようになります。こうして、この家庭はまるで母子家庭に、名ばかりの夫が同居人としていっしょに住んでいるだけのものになってしまいます。いつしか家庭の団欒や会話は全くなくなってしまい、アルコール症の夫はますます孤立化してしまいます。
 この夫は、家庭内において確かに経済的な役割は果たしてきたのですが、一家の大黒柱としての種々の精神的な役割は、酒を飲むことによって果たせなかったのではないでしょうか。  仕事を終えて帰宅しても、誰も相手にしてくれない。家には自分の居場所がないような気がする。自分が働いて子供達の態度もよそよそしく感じられる。それでは家に居てもおもしろくないのは当然で、また酒を飲んでしまう。このような悪循環が知らず知らずの間に形成されてしまっていたわけです。
 この人は、長年の自分の酒に原因があったのだとは気付きません。酒を飲むことによって、精神的な役割を放棄してきた事実には気付いてはいません。
 家庭内において自分の立場がなくなっていくにつれて、この夫の心の中には、家人に相手にされないことに対する孤独感が、さらに家人に理解されないことに対する不平や不満が、だんだんと積もってきたことでしょう。
 これでは、また飲むしか仕方がないとも言えます。そして、飲酒によって自分を抑えていた理性がとれてしまった時に、今まで積もりに積もった不満が爆発して家人に暴言を吐いたり、暴力をふるうようになったりすることがよくあります。
 静かに飲んでいた一人のアルコール症の夫が、ある頃から、飲んで家人に暴力をふるうようになってしまう背景には、このように長年にわたって行われてきた、本人と家庭との間の人間関係の静かな崩壊が横たわっていることが多いのです。
 よく自分には家庭も仕事もあるから、酒の問題はないと断言されるアルコール症の方がいます。確かに言われる通り、家庭も仕事もあるのですがそれは形だけにすぎず、中身がなくなっていることが多いのです。また、アルコールのために家庭も失い、仕事もなくなってしまった人の場合でも、いきなり離婚なり失職するわけではなく、このようにまず家庭や職場において人間関係の内容が失われていき、そして最後に形を失ってしまうのです。
 自分は責任をはたしているはずだと思いながら、夫婦ゲンカどの少しのトラブルで妻に離婚され唖然としている人も多いのです。この場合、その夫婦ゲンカは単なるきっかけにすぎず、そのうしろには長年にわたる夫婦の関係の静かな崩壊が進んでいたのです。
 職場内においても、人間関係の静かな崩壊は進んできます。アルコール過飲のために遅刻や欠勤の回数が目立ってきたり、アルコールの臭いをさせながら働いたりして職場に迷惑をかけ続けたりします。また、飲酒が原因で肝臓病などにより何度も内科病院に入院して、職場に穴をあけたりする人が多いわけです。実際、アルコール症の人が一番多く入院しているのは、精神病院でなく内科病院なのです。  遅刻・欠勤・アルコール臭・内科への入退院、このような問題が長年にわたって積もってきた結果、この人の職場における評価や役割は段々と失われていくでしょう。
 飲んで職場の人に暴力をふるったり、大きな事故を起こすなどといった直接のアルコール問題がなくとも、その人の職場内での役割はこのようにして失われてしまうのです。
 しかし、本人はそれが酒のためだとは気付きません。第一に飲酒の上での目に見えた事故やトラブルがあったわけではないからです。
 第二に、人間は自分を正当化する性質があるからです。時々遅刻や欠勤があったとしても今まで仕事の実績もあるし、酒の臭いをさせてもやることはやっている。肝臓病で長期入院したのは仕事の疲れがたまったためだ。などと、いくらでも自分の問題は合理化できます。
 しかし、いくら本人が自分のアルコール問題を合理化したところで、職場の目が冷たくなっていくことを止めることはできません。周囲の人々は、この人のことをアルコール症とまでは思わないでしょうが、酒にだらしのない仕事上の責任をまかせられない人間というレッテルを張ってしまっているでしょう。
 こうして、この人の職場内での役割も失われていきます。先に、仕事があったとしても形だけで中身がなくなるのでは、と述べたのはこのようなことなのです。
 このように、静かに飲んでいるはずのアルコール症の人の立場は、家庭内でも職場内でも居心地が悪くなり、ますますアルコールを求めるようになってしまいます。
 以上のような経過をたどるアルコール症者の人間関係の崩壊を、静かな崩壊と呼んでいいでしょう。
 一般の人々のアルコール症のイメージにあるように、社会的な規範から大きくはずれるような行動の異常を示す人だけがアルコール症ではありません。目立った行動異常がなくとも、長年の飲酒がその人の人間関係をこのように崩壊させることが可能なのです。このような人々を静かなアルコール症と呼ぶことにしましょう。

【静かなアルコール症者の問題点】
 アルコール症者をごく大ざっぱに分けますと、飲んで暴れる酒乱型と飲むとおとなしく眠ってしまう寝型に分類できます。後者が静かなアルコール症者ですが、このタイプの方が数としては酒乱タイプよりも圧倒的に多いのです。
 酒乱型の人は飲酒問題行動が目立ちますから、周囲の人々も自分も、アルコールの問題に気付きやすく早期発見が可能です。しかし、寝型の人はハデな飲酒問題行動もなく、静かなゆえにどうしても発見が遅れてしまいます。そのために長期間にわたって大量飲酒がつづき痴呆状態になってしまったり、もはや社会復帰が不可能なぐらい身体が障害されている確率が高くなります。
 また前述した通り、飲んで問題行動を起こす人々だけをアルコール症と考えていますので、専門的な治療を受ける機会がたとえあったとしても自分をアルコール症だと認めにくいのです。
 断酒会やAA、アルコール症の各医療機関がまだ整備されていなかった一昔以前にも、静かなアルコール症者が多かったのですが、自己の問題に気付かず断酒はできませんでした。
 その頃、自分のアルコール問題に気付き、断酒会やAAにつながって断酒を始めた病者はほとんどがハデな体験談を持つ酒乱型の人々でした。その結果、断酒歴の長い人々の体験談はかなり深刻でハデな内容のものが多いわけです。せっかく断酒会やAAに出席しても、このような酒乱型の体験談を聞きやはり自分はアルコール症ではないと考え、断酒の決意が得られにくいという事実もまた静かなアルコール症者の問題点の一つです。
 しかし、何度も繰り返し述べてきたように、静かに飲んでいたからといって何も問題なかったということは決してありません。
 静かなアルコール症者の方が、むしろ酒乱型の人々よりも人間関係や心の崩壊が、静かに進行していっているケースが多いのです。
 最後に、自分は静かに飲んできたからアルコール症になっていないと思っている人は、もう一度この章を読み直してください。
 そして、少しでも多くの人々が、自分のアルコール問題について自己洞察をされ、断酒の決意をなされることを願っています。


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