アルコール症テキスト アルコール依存症の治療を障害するもの
これが今回のテーマであるアルコール関連生活障害です。生活障害といっても決して経済能力の障害ではありません。生きているかぎり次々と目の前に現れる諸問題を冷静に受け止め、それを一つずつ乗り越えていく能力のことです。
【アルコール関連生活障害】
アルコール症という病気のために長期間飲酒生活を続けていますと、あらゆる方面の酒害が引き起こされてきます。
その酒害の一つである生活能力の低下という問題を中心に考えてみましょう。
人間は生まれつき、生活能力を持っているわけではありません。成長していく中で実際の生活の場面を経験することによって、人の世で円満に生きていくためのいろいろな生活の知恵を一つずつ身につけていくのです。
社会生活に必要なこの能力は、すでに子供時代から養われていくものですが、特に一人の人間が実社会に出てから種々の困難な場合にぶつかり、それをその人なりに一つずつ乗り越えていく経験を積むことによって急速に身についていくのです。
その例をこれから少し考えてみましょう。
ある人が学校を卒業し、就職し実社会に出た頃から考えてみます。まだ実社会のしくみについては何も知らないと言ってよいでしょう。子供の頃や学生時代は、親や先生という指導者がおり、いろいろな指導をしてくれます。また誰に対してもあまり責任のない時代ですから、少しぐらいハメをはずしたところで周囲の大人達は許してくれていたことでしょう。
しかし、一旦社会に出ますと、それなりの責任を負わされますし、誰も以前のように親切には指導してくれません。
この人は、自分の力でいろいろなことを学んでいかねばならないわけです。
この世の中には、目に見えない約束事が数多くあります。これは身をもって経験しないとなかなか分からないものです。
ある時は自分の感情をコントロールしてでも、他人とつき合っていかねばならない場合もあるでしょう。
また気分の乗らない時があっても、無理にでも仕事をしなければならない場合もあるでしょう。
あるいは、複雑な問題にぶつかり、どこから手をつけていけばよいのかわからない場合もあるでしょう。
しかし、このような障害を一つ乗り越えていくたびに、この人に生活の能力が身についていくのです。
この人が家庭を持てば、責任や義務はさらに重くなるはずです。一家の大黒柱として、家庭の内外の問題を一つずつ乗り越えていく。
年とともにさらに重くなってくる社会人としての義務や責任を果たしていく、このような日々の積み重ねによって、この人は人間社会で生きていくための多くの生活能力を身につけた社会人になるのです。
人間は生まれながらにして社会で生きていける存在ではありません。
社会で生きていける社会人に、このような訓練の日々を通してなっていくのです。
ところが、アルコールは一人の人間が社会人になっていく時期に大きな障害となります。
なぜなら、このように社会人として成長していくべき時期に、アルコール症者の場合飲酒生活が重なってくるからです。
20歳代後半から30歳代のすべて、40歳代の前半、この時期は社会人として成長していくための大切な訓練の機関と言ってよいでしょう。
この時期に、目の前にたちふさがってくる諸問題から逃げてしまわず、どのくらいそれらを乗り越えたかによって、その人の物事に対対応する能力の大きさが決定されるのです。
ところが、アルコール症が進行していくのはまさにこの時期です。歳をとるにつれて、また社会的な責任が重くなるにつれて、病気は進行し飲酒量は増加していきます。
その結果、責任を果たすべき時に、また嫌いなことやつらい時に、あるいは自分の感情をうまく処理しなければならない時に、すでに酒が入ってしまっているということが多いのです。
つまり肝腎な時にはいつも酒が入っており、問題を解決しないで放置したり逃げてしまったりすることによって、いろいろな問題をしらふで乗り越えることがだんだんと少なくなっていったのではないでしょうか。
このような日々を何日積み重ねたところで、生活のトレーニングはできません。こうしてアルコール症者は、社会生活に必要な生活能力を身につける機会を失ってしまうのです。
自らの酒害を認め、断酒を決意した人は多くいます。しかし、断酒に失敗し再飲酒した時の理由の中に、生活能力の低下、つまり物事に対応する能力の低下がよく認められます。不幸にして再飲酒してしまった人の声を聞いてみましょう。
・断酒していたが、肉親の死別という悲しみに負けて飲んでしまった。
・経済的に行き詰まり、どうしようもなくなって飲んでしまった。
・子供の非行問題に悩み、つい飲んでしまった。
・職場での対人関係がうまくいかず、最後には飲んでしまった。
このように、いろいろなストレスが失敗の原因となっています。
なるほど、その理由の一つひとつを見てみますと確かに大きなストレスであり、これでは飲んでしまっても仕方がないという見方も成り立ちます。
しかし、逆にこのような時にこそ飲まずにしらふでがんばらなければならなかったのではないでしょうか。ここが肝腎なのです。アルコール症者は、このように肝腎な時に飲んでしまうのです。
一般の人々は、ふだん飲酒していてもこのような危機に際して飲むことをやめ、問題に立ち向かおうとするものです。しかし、アルコール症者は全く逆です。断酒していても、このような危機に際して反射的に飲酒してしまい、問題から逃避してしまうことが多いのです。
この違いは長年の生活態度から生まれてきたものでしょう。アルコール症者は、自分が何かを解決せねばならない時にかぎって飲んでウサをはらしたり、問題を放置してきたのです。
このように肝腎な時に飲んでしまう人間に対して、周囲の人々が信用しなくなるのはあたりまえのことでしょう。あの人は大切な時にかぎって飲んだくれている。・・・・・・このように思っている家族の何と多いことでしょう。
生活能力の低下、言い換えますとストレスの乗り越え方の能力の低下は、このようにしてその人の信用さえ失わせてしまいます。
アルコール症者は、このように大きなストレスに対しても弱くなっているのですが、日常生活の中で見いだされる小さなストレスにも弱くなっているものです。これは物事を円満に処理できないという事実です。
ここまでまた断酒を決意しながら飲酒してしまった人の声をもう一度聞いてみましょう。
・せっかく断酒して就職しようとしていたのに、就職の際の面接で冷たくあしらわれたから腹を立てて
飲んでしまった。
・何回か仕事に不採用になったから飲んでしまった。
・物を買いに行ったが、その店の店員の態度が悪かったからケンカして飲んでしまった。
・市役所に手続きに行ったところ、長い間待たされたあげく必要な書類などが足りないと言われ、
カッとして飲んでしまった。
・交通違反の件で警察へ行ったところ、横柄な態度で調べられ、その帰りにむしゃくしゃして飲ん
でしまった。
・電車が事故か何かで時間通りに来なかったので、腹が立ち売店でワンカップを買って
飲んだ。
・車で事故をおこし、その相手から難くせをつけられ、どうすればよいのか混乱して
飲でしまった。
・いつまでも寒いから気分が悪くて飲んでしまった。
・カサを持って来なかったのに急に大雨になり、ずぶ濡れになり腹を立てて飲んで
やった。
・女房がいつまでも口うるさいから飲んでしまった。
・子供が自分の言うことをきかないからケンカになり、飲んでしまった。
・女房の買い物について行ったら、いつまでもノロノロしているので腹を立て飲んで
しまった。
・職場で自分の意見が全く通らないので、腹を立てて帰りに飲んでしまった。
・断酒会に行ったところ、その日だけ場所が変わっていていつもの所は閉まっていた。
帰りに飲んでやった。
・交通渋滞に巻き込まれ遅刻してしまった。そこで腹を立てて飲んでしまった。
もうこのあたりで例を挙げるのはやめておきますが、以上の飲酒理由はすべて実例
です。
これはいったいどうしたことでしょう。
彼らの言い分をまとめてみると次のようになります。
※就職がうまくいかないから・・・・・・
※店員の態度が悪かったから・・・・・・
※役所の係員が不親切だったから・・・・・・
※警察の態度が横柄だったから・・・・・・
※自分の乗る電車が遅れたから・・・・・・
※交通事故の示談がうまくいかなかったから・・・・・・
※いつまでも寒いから・・・・・・
※カサを持っていないのに雨が降ったから・・・・・・
※女房が口うるさいから・・・・・・
※子供が自分の思い通りにならないから・・・・・・
※女房の買い物がノロノロしていたから・・・・・・
※自分の意見が通らなかったから・・・・・・
※せっかく行ったのに断酒会がなかったから・・・・・・
※交通渋滞のため遅刻したから・・・・・・
彼らはだから飲んだと言っているのです。そして、あの時あんなことがなかったら自分は飲まなかったのに、と心の中で思っているのです。実際に口に出して言った人も多くいました。
このような態度を他罰的な態度というのです。
このような態度で断酒継続ができるはずはありません。他罰的とは読んで字の通り他を罰するということであり、まわりが悪いという態度です。
それでは仮に、このような態度のまま物事がうまくいくためにはどのようになればよいのでしょうか。自分をとり巻くすべての自然現象、すべての社会現象が全部、自分の都合のよいようになればうまくやれるし酒も飲まないのに・・・・・・。
アルコール症の人々は、このように考えていることが実に多いのです。すべてが自分の都合のよいようになれば・・・・・・。
このような態度を自己中心的な態度と言うわけです。つまり、他罰的な態度はまさに自己中心的な態度と裏表を成しているわけです。
くどいようですが、もう一度先の例を挙げて自己中心的な態度で物事を解決してみましょう。
就職が一度で決まれば、店員はすべて愛想が良ければ、役所の係員がすべて親切であれば、電車がいつも遅れなければ、事故の後始末がスムーズにいけば、寒くなければ、いつも晴れであれば、女房がやさしかったら、子供はいつも自分の思い通りになれば、いつも自分の意見が通れば、すべてうまくいくのに・・・・・・。
なるほどこのようになれば物事は解決し、断酒もできるでしょう。
しかし、こんなことはどう考えてみても不可能なことです。このように最初から不可能なことをみなさんは、心のどこかで願っていたのです。しかし、このような奇跡は今までただの一度も起こらなかったはずですし、これからも起こるはずがありません。
なぜ、このように自己中心的な人間になってしまったのでしょうか。
これも、長い間の飲酒生活にその原因の一つがありそうです。
長年の飲酒生活の中で、物事にうまく対応しようとする努力をしてこなかった結果、人の世で生きていくために必要ないろいろな経験が身につかなかったからではないでしょうか。
目には見えない世の中のいろいろな規則や原理を知り、すべて自分の思い通りにはならないのだというあたりまえの知恵さえ、飲酒生活の中で失ってしまったわけです。
人の世の中で円満に生きていくために必要である生活能力がなくなると、いつも乗り越えるべきストレスにつまずき飲酒してしまいます。また危機に際して飲んでしまうことにより、周囲の人々の信用を失い人間関係の障害が生じます。このようにして信用がなくなると、そのことに対する腹立ちやさびしさのウサをはらすためにまた酒を求めてしまうのです。
次に、先程説明したように生活能力の低下は他罰的、自己中心的な態度を生み出しています。そして、少し自分の都合の悪いことに出会うとすぐに感情的になってしまい、飲酒につながってしまうのです。
このように、すべてが酒につながるようになる悪循環が形成されているのがアルコール症の大きな特徴であり、このためなかなか断酒ができなくなっています。
この悪循環を断ち切って断酒新生を実行するためには、断酒と同時にもう一度生活のトレーニングをやり直すのだという強い決意が必要です。
治療が始まり、断酒が少し軌道に乗りだした初期の頃、よく、もう飲みたいとは思わない、これで断酒が続けられるだろう。と考える人が多いのですが、このような飲酒欲求のない安定した時期は長く続きません。よく考えてみると、長年の飲酒生活のために一般の人々よりは未解決のままに放置してある諸問題が山積みになっているはずです。
その中に、問題を冷静に解決することが苦手になっている人がしらふになって帰っていくわけです。
これではすぐにでもどれかの障害につまずき、たちまち飲酒欲求が出現し飲酒してしまいます。
一つや二つの障害であれば、なんとか我慢してしらふで乗り越えられたとしても、嫌なことや自分が解決しなければならない問題、あるいは複雑すぎてどう整理していけばよいのかわからないような問題などに次々とぶつかると、最後には混乱してしまうものです。
混乱すれば条件反射的に飲酒してしまうという習慣がよみがえり、ここで飲酒再発してしまいます。
以上のような理由で、一時の飲酒欲求のない状態というものは全くあてになりません。混乱するような事態に対して、あるいは危機に際して、飲酒欲求は繰り返し出現するとあらかじめ覚悟しておいてください。断酒しようと決意し、しばらくがんばってやめ続けてもまた失敗してしまう人を眺めていると、本人にはわからないある一定のパターンが認められます。
酒害を十分に認識し、断酒しようとがんばっていても失敗を繰り返してしまう人々。
このような人々の飲酒動機を調べてみますと、興味のある事実が認められます。
その事実とは、その人はいつも同じ障害にぶつかって、乗り越えられず飲酒してしまうということなのです。
経済的な問題で失敗してしまう人はいつも経済的な問題で飲酒再発を繰り返しますし、家庭内や職場でのトラブルで飲酒する人は、また同じ問題につまずいて繰り返し飲酒再発をします。
この事実はいったい何を意味しているのでしょうか。
つまり、彼らは一つの障害を飲酒という手段で逃避してしまい。乗り越えられなかったわけです。すると当然その問題は未解決のままに残っているわけです。この人が、飲酒からしばらくして立ち直り断酒生活に入ると、またこの未解決な問題が目の前に立ちふさがりそこでまた飲酒再発というパターンとなるわけです。
このようにして、アルコール症の人々はいつもその人特有の障害物にぶつかり、そこで飲酒再発という同じパターンを何度も繰り返しています。これではいつまでたっても断酒継続できるはずがありません。
そのような障害を十分に予想しておき、その障害に出会った時にはどんな手段を使ってでも飲まずに乗り越えていくことが大切なのです。とにかくしらふでがんばって、その障害を克服するのです。それがその人の一つの経験となって身につくはずです。すると、次に同じような障害にぶつかったとしても以前の経験が物を言い、以前よりは少し楽に飲まずに障害を克服することができるでしょう。
このようにして、障害を一つまず乗り越えていくことによって経験が身につき、物事を冷静に判断し、しらふで乗り越えることのできる幅の広い人間になっていけるわけです。
このような態度で日々の断酒生活を続けていき、段々と大きな障害に飲まずに対応できる人間に成長していってこそ、その人の断酒は本当に安定した断酒になっていくことでしょう。
こうしてもう一度生活能力を身につけていくことが重要です。同じ問題にぶつかるたびに飲酒していたのでは、いつまでたっても生活能力が身につくはずがありません。
人間は生きているかぎり、日々何らかの問題にぶつかるものです。その上、アルコール症の人々は普通の人々より未解決で山積みの問題が待ちかまえているわけです。
しかし、そこで逃げてしまわずにがんばり通さねばなりません。断酒の道はこのように障害物競走のようなものです。そのためにはやはり一人の力で断酒を続けることには限界があります。そして一人でやめる限界は、みなさん方も何度も経験しているはずです。
我慢の断酒は続きません。また、アルコール症の障害の一つである生活能力の低下の問題を解決し、すぐにでも現れてくる数々の障害を予想しておらなければ、やはり断酒継続は不可能なのです。
断酒の道は、いろいろな障害をしらふで乗り越える練習を重ねなければならないトレーニングの道だと充分に自覚しておいてください。
断酒を始めようとしている人は、これからもう一度いろいろな問題をしらふで解決していくトレーニングの日々が始まるのだと考えるべきです。
自分だけの力を過信せず、また正しいアルコール症の知識もないまま我流で断酒しようとしてもだめです。
断酒会やAAなどに入会し、仲間の力で障害を一つずつ制服していくこと、障害にぶつかった時に出現する病的な飲酒欲求をやりすごすために、自ら前もって抗酒剤を毎日服用することを続けてください。(実際このような危機に際して抗酒剤の力がどれほど大きいものであったか。そのため何とか飲まずに障害を乗り越えられたかを実感として語った人が何人もいました。)
また専門の医療機関に定期的に、ある いは危機に際して通院し、専門的なアドバイスや時には投薬をお受けることも断酒継続には大きな支えとなるはずです。
専門家の力を借り、抗酒剤の力を借り、仲間の力を借りてでも、いろいろな障害を乗り越えていくことが肝腎ですし、そのようにして種々の障害に対してしらふで冷静に対応できる力を少しずつ見につけていくことが、本当に安定した断酒への道なのです。
断酒継続とともに、いろいろな障害を一つ一つ乗り越えていくトレーニングの日々を通して、自分の生活能力をもう一度取りもどすのです。